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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4339号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 鐘紡株式会社

右代表者代表取締役 石原聰一

右訴訟代理人弁護士 位野木益雄

同 竹澤喜代治

同 竹澤一格

同 安藤一郎

被控訴人(附帯控訴人) 株式会社新潮社

右代表者代表取締役 佐藤亮一

被控訴人(附帯控訴人) 佐藤亮一

被控訴人(附帯控訴人) 山田彦彌

被控訴人(附帯控訴人) 松田宏

右四名訴訟代理人弁護士 多賀健次郎

同 中馬義直

同 舟木亮一

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人(附帯控訴人)らは、控訴人(附帯被控訴人)に対し、各自金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年六月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人(附帯被控訴人)のその余の請求を棄却する。

二  被控訴人(附帯控訴人)らは、控訴人(附帯被控訴人)に対し、被控訴人(附帯控訴人)株式会社新潮社が発行する週刊誌「週刊新潮」に、別紙目録四記載の謝罪広告を別紙目録五記載の形式で一回掲載せよ。

三  被控訴人(附帯控訴人)らの本件附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)らの負担とし、その余を控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

五  この判決の第一項の1は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  本件控訴

1  控訴の趣旨

(一) 原判決中、控訴人(附帯被控訴人、以下単に「控訴人」という。)敗訴の部分を取り消す。

(二) 被控訴人(附帯控訴人、以下単に「被控訴人」という。)らは、控訴人に対し、原審認容の金額のほかさらに各自金二億九九〇〇万円及びこれに対する昭和六一年六月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被控訴人らは、控訴人に対し、朝日、毎日、読売、産経及び日本経済の各日刊新聞全国版社会面紙上に、別紙目録一記載の謝罪文を、別紙目録二記載の形式により掲載して広告せよ。

(四) 被控訴人らは、控訴人に対し、週刊誌「週刊新潮」に、別紙目録一記載の謝罪文を、別紙目録三記載の形式により掲載して広告せよ。

(五) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

(六) 仮執行の宣言

2  被控訴人らの答弁

(一) 控訴棄却

(二) 当審において拡張された請求(右1の(四)の請求)を棄却する。

二  本件附帯控訴

1  附帯控訴の趣旨

(一) 原判決中、被控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

(二) 控訴人の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも、控訴人の負担とする。

2  附帯控訴の趣旨に対する答弁

附帯控訴棄却

第二当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は、明治二〇年に創業され、従業員約六四九〇名(鐘紡グループ全体で約二万七〇〇〇人)を擁する繊維、化粧品、食品及び医薬品の製造、加工、販売並びに住宅の建設等の綜合経営を目的とする東京証券取引所第一部上場の資本金二二五億三〇〇〇万円の株式会社であり、膨大な顧客取引先を有している。

伊藤淳二(以下「伊藤」という。)は、昭和六一年六月当時、控訴人の代表取締役会長であり、かつ、日本航空株式会社(以下「日航」という。)の代表取締役会長であった(六月末に副会長から会長に就任した。)。

2  被控訴人株式会社新潮社(以下「被控訴人会社」という。)は、週刊誌「週刊新潮」(以下「週刊新潮」という。)等を発刊する出版社である。

昭和六一年六月頃、被控訴人佐藤は被控訴人会社の代表取締役であった。また、被控訴人山田は週刊新潮の編集人兼発行人、被控訴人松田は週刊新潮の編集部副部長であって、いずれも被控訴人会社の被用者であった。

当時、週刊新潮は、発行部数約六〇万部に及び、日本国内の書店等で販売、頒布されていた。

3  被控訴人会社は、昭和六一年六月一二日に発行された週刊新潮三一巻二四号(昭和六一年六月一九日号、以下「本誌」という。)に、「『日航』伊藤会長が『威を借りる虎』の名」と題する特集記事(以下「この記事全体を「本件記事」」という。)を掲載し、頒布した。

4  本件記事は、伊藤が控訴人の代表取締役会長在任のまま日航の取締役副会長から会長に昇格することになった際に書かれたものであって、写真を含め、すべて、それまでの控訴人及び日航における伊藤の職務執行に関連する行動等を非難し、伊藤に経営者としての能力がなく、日航会長として適格を欠くことを宣伝するためのもので、その中には次のような部分がある。

(一) 「業績の悪さを隠すために、「日航会長就任用の数字づくり」が行われているフシがある、と鐘紡元幹部社員が解説する。

「六月末の日航の株主総会で伊藤氏が会長に就任するにあたって、本体の鐘紡の状態がよくないんでは困るので、まあ、いろいろ数字をいじくっているようです。ある幹部社員に今期の決算の見通しを聞いたら、繊維はトータルで百億円の損だが、化粧品で百二十億円、ファッションで二十億円の利益が出て、そのほか食品なども健闘しているからトータルでは去年を上回る利益になる。業績は確実に上向きになってきているといってるんですが、私がいたときからごまかしていましたからねえ。この数字は信用できません」」(以下、この部分を「記事(一)」という。)

(二) 「「ところが、昭和五十九年、復配したんです。実はこの復配、粉飾の結果ではないかと疑いが持たれているんです」

粉飾とはいえないが、鐘紡にはこんな前科がある。ある元幹部社員がいう。

「昭和五十一年から二年ごろ。オイルショックのあとで、繊維業界は構造不況の真っただ中でした。伊藤さんは、目標の数字を抑えないで、経営とは意志であるという理念を振り回して、数字を出せと社員の尻を引っぱたき続けた。その結果、アクリル繊維担当の山本吉彦取締役(当時)が、実際は何十億もの損を出しながらプラスになっているという粉飾をやった。鐘紡はこの時、つぶれる寸前だったんです。マスコミは三百五十億の粉飾と書きましたが、実際は八百五十億円なんですよ。この穴埋めに淀川工場の跡地を売ったりしましたが百億円だけ帳尻が合わない。ついに在庫があることにして処理したんです。」」(以下、この部分を「記事(二)」という。)

(三) 「鐘紡の元経営スタッフの一人がいう。

「もともと、伊藤氏は事業の具体的な内容については、何一つわかっていないんですよ。ですから、言ったり書いたりしているのは、すべて人生論、抽象論、基本論でしょう。商売に関しては、いい製品を安くつくって高く売れということしかいえないんですよ。あとは論語を引用して煙に巻くだけ。彼は武藤絲治さんから会社を受け継いだわけですが、武藤さんにしても無念の思いで辞められたんですよ。武藤さんに使途不明金があるという話を伊藤さんにつかれて辞任に追い込まれたんです。表向きは禅譲されたことになっていますけど、武藤さんは辞めてから半年ぐらいで、ほとんど狂い死にに近い状態で亡くなりました。亡くなる直前、秘書の手をとり、伊藤だけはなんとかしてくれといったり自分がとり立ててやったのに、策を以って引きずり下ろされた。すべては伊藤の仕業だという遺書があったというんです。」」(以下、この部分を「記事(三)」という。)

(四) 「武藤絲治氏の近親者の話。

「六十五歳になったときキッパリと社長をやめられたんです。初めは相談役かなんかになったんですが、伊藤さんから会社に出て来て下さい、といわれたので出てみると、相談役の部屋も机もなかったそうです。伊藤を社長にしたのは失敗だったといってるのを聞かされました。それからよほど絲治さんが邪魔だったのか、当時、ある週刊誌に絲治さんのことをボロクソに書かせたんです。むろん、相当のものを払ってのことでしょう。それに、絲治さんは女のことでも脅されたようですねえ」」(以下、この部分を「記事(四)」という。)

(五) 「伊藤氏の、これは、と思う人物への金品攻勢は割に知られている。」(以下この部分を「記事(五)」という。)

そのほかに、本件記事は、(六)日航幹部社員は伊藤日航会長を出世主義で権力意志が強く報復人事を行う人物と評しているとの日航幹部社員の談話、(七)伊藤は控訴人あるいは伊藤に関して批判的な記事を書かせないため接待攻勢などのマスコミ対策をしているとの経済ジャーナリストの談話、(八)伊藤が作った日航会長室が組織から遊離しているとの日航社員の談話、(九)「花村仁八郎氏の苦言」と題する伊藤の経営者としての適格性についての日航元会長花村仁八郎の談話、(一〇)伊藤が日航の経営に専念しない理由についての経済ジャーナリストの談話、(一一)「暴露された諌言状」と題するカネボウ化成株式会社元顧問による伊藤宛の諌言状の内容の紹介、(一二)桑原慶祐控訴人元副社長死亡後の伊藤による恐怖政治、(一三)伊藤が日航で権力を振るえるのは小山五郎、中曾根首相(当時)などの後ろ楯があるからであるとする記者の推測などの段落で構成されており(以下、これらの部分をそれぞれ「記事(六)ないし「記事(一三)」という。)、これらの各段落の記述は、誹謗の程度には幾分差はあっても、各段落の全部がそれぞれ伊藤及び控訴人の社会的評価を著しく低下させ、さらに、表題、柱書、写真等とともに全記事が一体となって、伊藤の名誉、信用等を毀損するのみならず、控訴人自体も長年培ってきた名声、信用、イメージ等を害され、回復することのできない損害を受けた。

なお、本件記事の中には、伊藤の行為の非難に関連して、控訴人自身をも併せて誹謗していると認められる部分があり、本件記事(一)及び(二)はそれに当たるが、そのほかにも、「その鐘紡の状態もよくない。「一昨年復配を果し、一応格好をつけて日航に乗り込んだんですが、まだまだ鐘紡は健康体とは言い難い状態が続いています。成功しているのは化粧品ぐらい。薬品も昨年、B型慢性肝炎治療薬を販売中止している。とくにひどいのは住宅ですね。会社所有の工場跡地を売って分譲住宅にして食いつないでいるんですが、カネボウハウジングは、年間五、六千戸を売る業界トップの三井ホームに比べると、成績は十分の一以下ですよ。それに大体、売却用不動産自体が残り少なくなっている。もう限界に近づいているんですよ。」」との経済ジャーナリストの談話を紹介した部分(以下、この部分を「記事(一四)」という。)や、控訴人本社社屋の写真とその説明文である「とっくにつぶれていた鐘紡?」の部分などがある。これらの部分は、二重の意味において控訴人の名誉、信用等を毀損している。

5  ある記事が直接会社自体に関するものである場合に限らず、広く会社代表取締役などによってされた行為に関するものであっても、社会通念に照らして、その記事が会社の社会的評価を低下させ名誉、信用等を害するものであると認められるときには、会社の名誉、信用、イメージの毀損が成立する。

会社の行為は実際には代表取締役等によってされるものであるが、会社の行為として社会的に評価されることになる。したがって、代表取締役が無能であるとか、不正行為をしたとか、あるいは経営能力がないために会社が経営不振に陥ったというような記事を掲載された場合には、その代表取締役のみならず、その会社も自己の名誉、信用などが毀損されたとして責任を追及できる。

特に、会社の代表取締役の職務執行行為を誹謗した場合には、代表取締役個人のみならず当該会社に対しても名誉毀損となるのが通例であり、このことは職務執行に関連する行動や性格等に関する誹謗でも同様である。

ことに、伊藤は多年控訴人の社長ないし会長として活躍し、その業績によって、控訴人の内外にわたって「鐘紡中興の人」として敬慕され、知名度が高いため、控訴人の象徴的存在であり、控訴人は「伊藤の鐘紡」として社会一般に知られ、その持株も一五三万八七一〇株で個人筆頭株主で、名実ともに控訴人の頂点・トップ又は実力者として機能しているのであるから、被控訴人らは、正にそのような存在としての伊藤の行為を誹謗することによって、別人格である控訴人の名誉、信用を毀損するとともに、偽計による業務妨害をしたものである。

6  被控訴人らは、以下の理由により不法行為責任を負うものである。

(一) 被控訴人佐藤、同山田及び同松田は、週刊新潮の発行責任者として本誌に本件記事を掲載し、発行したものであり、前記名誉、信用毀損及び偽計による業務妨害の不法行為を共同してしたものである(民法七一九条、七〇九条)。

(二) 被控訴人会社は、被控訴人佐藤が代表取締役として、同山田及び同松田がその被用者として、被控訴人会社の事業の執行に付いてした右共同不法行為に関して、法人としての不法行為責任ないし使用者責任を負う(商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項、七一五条一項)。

(三) 被控訴人佐藤は、代表取締役として被控訴人会社の業務一切を統理する者であるから、被用者である被控訴人山田及び松田の行為について被控訴人会社の代理監督者としても被控訴人会社と同じ責任を負う(民法七一五条二項)。

7  法人の名誉毀損については、謝罪広告による救済がその機能を発揮するにふさわしいのであって、金銭賠償は補完的なものであるというべきである。したがって、法人の名誉毀損については、まず謝罪広告の適用が考えられるべきものである。

そして、〈1〉控訴人が膨大な人員、組織、経済力などを持つ名門の日本有数の有名企業であり、全国規模で消費者と密接な営業活動を展開していること、〈2〉その営業種目も、化粧品、食料品、医薬品、住宅等人気に左右されやすいものであり、本件記事による名声の低下、信用の減少、イメージダウンの被害が大きいこと、〈3〉控訴人が本件記事による営業上の影響をくい止めるために多大の努力を強いられたこと、〈4〉控訴人が受けた具体的な数値の立証が困難な無形の損害が膨大であること、〈5〉控訴人は本件記事が虚偽であることを消費者に有効に伝達する手段を持たないこと、〈6〉他方、被控訴人会社は出版業界において高い地位を占め、その発行する週刊新潮は有名大衆週刊誌としてその発行部数が約六〇万部で全国的に購読者が多数存在し、社会一般に対する影響力が大きいこと、〈7〉本件記事掲載の動機が、過去において被控訴人会社が週刊新潮掲載の記事に関して控訴人に謝罪させられたことへの意趣返しであること、〈8〉特に記事(三)ないし(五)は、伊藤が非道徳的行為をしたかのごとき記事により一般読者の興味を引こうとする点で悪質であること、〈9〉本誌は、新聞広告、電車内の吊下広告などにより大々的に宣伝されていること、などの事実に照らすと、本件のような事案ではまず謝罪広告が認められるべきである。

8  控訴人は、謝罪広告によっては償われない損害賠償として三億円を請求するが、その内訳は次のとおりである。

(一) 民法七〇九条に基づく損害

二億円

これは、本件不法行為によって控訴人が被った次の(1)及び(2)の財産的損害合計三億六五七〇万一五〇〇円の一部として請求するものである。

(1) 売上減による得べかりし利益の喪失(三億六一八〇万円)

控訴人は、製造した商品は控訴人の一〇〇パーセント出資の子会社を通じて販売しているものであるところ(したがって、子会社は実質的には控訴人の営業部門ともいうべきものである。)、本件記事により、控訴人及び一体関係にある子会社である販売会社の名声、信用、イメージが毀損され、その影響のため、販売会社の売上高が、前年(昭和六〇年)同期のそれと比較して、本件記事の掲載直後である昭和六一年七月あるいは八月において、化粧品部門では一一・五パーセント減の十四億八〇〇〇万円、医薬品部門では一七パーセント減の三億二九〇〇万円のそれぞれ減少となっている。

そして、通常、少なくとも売上高の二〇パーセントに当たる額が純利益となるから、本件では、化粧品部門で二億九六〇〇万円、医薬品部門で六五八〇万円の純利益を喪失したというべきところ、各販売会社の損益は実際には控訴人の損益と同様に処理されている関係上、その額はそのまま親会社である控訴人の得べかりし利益の喪失として損害となる。

(2) 経費使用による損害など(三九〇万一五〇〇円)

ア 控訴人が主要なマスコミ一九社に対し、本件記事が事実に反することを説明するために要した交通費

一九万円

イ 控訴人が、販売会社七二社に対し本件記事に関する説明をし、右販売会社と善後策を協議するために要した出張旅費 二八万一〇〇〇円

ウ 販売会社から主なチェーン店に対し本件記事に関する説明をするために要した訪問人件費

二六六万四〇〇〇円

これは、一日一人三万七〇〇〇円として支払った七二人分の金額である。販売会社はすべて控訴人の一〇〇パーセント出資の子会社であり、その損益勘定は控訴人の損益と同様に処理されるので、右の販売会社の経費増による利益減により控訴人の得べかりし利益が右金額だけ減じたことになる。

エ 本件記事に関し対応するため連絡に要した電話代 七六万六五〇〇円

控訴人分が一万六五〇〇円、販売会社からチェーン店宛に要した分が七五万円である。

(二) 民法七一〇条に基づく無形の損害 一億円

(1) 会社役員、従業員の精神上の苦痛による会社の無形の損害

本件のように会社代表取締役等に対する違法な記事によって会社の名誉が著しく毀損された場合は、わが国のように会社に対する忠誠心や帰属意識の強い国民性を持つ社会においては、当該代表取締役はもちろんのこと、その他の役員、従業員などもそれぞれ精神上の損害を受け、これによって会社も著しい損害を被る。

この場合、法人としての会社に固有の精神がないからといって、代表取締役あるいは役員、従業員等が受けた精神上の苦痛によって会社が被った損害を無視することは社会の実情に反する。まして、控訴人のように伝統があり、名誉と信用を重んずる大会社の名誉が毀損された場合には、役員、従業員のほか関係者の受ける精神上の苦痛による会社の損害は、一個人の名誉が毀損された場合と比較にならないほど大きいものであって、このような会社の損害は、会社の被った無形の損害として賠償請求権を認めるのが相当であり、民法七一〇条の認める無形の損害に該当する。

(2) 名誉、信用等の毀損による会社自体の無形の損害

会社の名誉、信用、イメージが毀損された場合には、以上の損害のみならず、精神、感情の存在を前提としない客観的な社会的評価の低下という非財産的な損害も同時に生ずる。

また、財産的損害であっても、名誉、信用、イメージ毀損の性質上、数理的に計算、立証が困難な損害(いわゆる「潜在的・抽象的損害」)も生ずる。

このような無形の損害であっても、金銭賠償が認められるべきである。そして、本件においては、7項において主張したような事情があるから、控訴人の受けた無形の損害は極めて大きい。

9  よって、控訴人は被控訴人らに対し、次のとおり請求する。

(一) 各自三億円及びこれに対する不法行為の後である昭和六一年六月一九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払

(二) 朝日、毎日、読売、産経及び日本経済の各日刊新聞全国版朝刊社会面紙上に、別紙目録一記載の謝罪文を別紙目録二の形式により掲載して広告すること(原審において請求した謝罪文の内容及び掲載の形式を訂正したものである。)

(三) 週刊新潮に、別紙目録一の謝罪文を別紙目録三の形式により掲載して広告すること(この請求は、当審において拡張されたものである。)

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項のうち、控訴人の営業の内容及び伊藤に関する事実は認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2項の事実は認める。

3  同3項の事実は認める。

4  同4項のうち、本件記事の内容は認めるが、その余の主張は争う。本件記事は、控訴人の名誉、信用を毀損するものではなく、偽計によって控訴人の業務を妨害するものでもない。

5  同5項は争う。

本件記事の趣意は、日航会長に就任が予定されていた伊藤に係る事実の報道及び事実に基づく論評であって、控訴人に関するものではない。

記事(一)及び(二)は控訴人に関する事実であるが、むしろ伊藤の控訴人経営の実績を述べたものであり、その際、控訴人のことに筆が及んでいるが、被控訴人らには控訴人の名誉、信用を毀損する意思はなかったし、右記事の内容も、経済界において略々定説として人口に膾炙し、新聞、雑誌等にも取り上げられていたことである。

記事(三)ないし(五)に至っては、全く伊藤個人に係る記述にすぎない。

代表機関の名誉毀損と法人の名誉毀損とは、本来別個のものであって、これが同一視されるのは、法人即代表機関という実体のある特別の場合に限られる。

6  同6項は争う。

被控訴人山田は週刊新潮の編集長であり、また、被控訴人松田は本件記事のまとめ兼執筆者であって、いずれも本件記事の作成に関与しているが、被控訴人佐藤は一切関わっていない。

7  同7項は争う。

8  同8項は争う。

(一)の(1)の子会社である販売会社の売上減は知らない。本件記事と右売上減との因果関係は争う。

(一)の(2)の経費については知らない。本件記事と右経費の支出との因果関係は争う。

(二)の(1)及び(2)の主張は争う。

三  抗弁

仮に本件記事が名誉毀損等に該当するとしても、本件記事は公共の利害に関する事実及び同事実に基づく論評であり、その報道目的が公益を図る目的に出た場合に該当する。そして、本件記事の内容である事実は真実であるから違法性がなく、仮にそうでないとしても、本件記事の作成者が右の事実を真実と信ずるについて相当の理由があるから故意、過失がなく、いずれにしても被控訴人らには不法行為責任はない。

また、「公正な論評」についても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはない。

1  本件記事の公共性及び公益性

日航は、準公法人ともいうべき特殊法人であり、その代表取締役会長は準公務員たる地位にあって、その職務執行は公共の利害に関する。また、控訴人は、一私企業ではあるが、大規模かつ一部上場の株式会社であり、商法、証券取引法等の法規制にかんがみると、社会的公器として、公共の利害につながるものである。

そして、控訴人の会長である伊藤は昭和六〇年一二月日航副会長に就任し、次いで翌六一年六月代表取締役会長に選任されることになった。ところが、伊藤の日航副会長としての在り方に批判が続出していたので、本誌は、伊藤の控訴人の社長、会長としての経営実績を紹介し、日航副会長としての在り方を批判、報道した。伊藤が控訴人を出身母体とし、永年控訴人の役員であったことから、本件記事の内容はいきおい伊藤の控訴人における閲歴に及ぶが、それは伊藤の経営者としての実績、性向、人間性を明らかにするためであり、控訴人そのものを論評の対象とするものではなく、また、個人生活の暴露、個人攻撃を目的とするものではないのであって、専ら公益を図ることを目的としたものである。

2  本件記事の真実性又は相当性

以下のとおり、本件記事の内容は真実であるか、又はその作成者が真実であると信ずるについて相当の理由がある。

(一) 本件記事の取材、作成の経過

本件記事は、週刊新潮の編集部員が、カネボウ化成株式会社の顧問であった豊原洋の伊藤宛の「諌言状」を入手したことがきっかけとなって、昭和六一年六月六日から同月九日までの間に右豊原洋、控訴人の元副社長等控訴人の関係者、花村仁八郎、控訴人の元社長武藤絲治の近親者、日航の関係者、銀行関係者、ジャーナリスト、経済専門家などに取材して、執筆されたものであるが、これら関係者からの取材内容はいずれも信用性の高いものと判断できるものであった。

なお、週刊新潮編集部には、永年にわたる控訴人及び伊藤に対する取材結果の集積がある。

(二) 記事(一)について

記事(一)は、「鐘紡元幹部社員」の解説とされているが、控訴人元副社長に対する取材に基づくものである。元副社長は、伊藤には批判的立場に立つものの、その人柄、経歴、控訴人に対する愛情から考えると、控訴人について事実を捏造するとは到底思われないし、まして控訴人を中傷、誹謗するとは全く考えられないから、信頼できる情報である。

また、被控訴人会社の取材記者は、これを補強し、検証するために、雑誌記者及び新聞社経済部の記者に取材している。

「日航会長就任用の数字づくり」も、控訴人の元副社長の談話をそのまま掲載したものである。控訴人は、昭和五二年以来の無配を昭和五九年四月期に復配し、昭和五九年四月期は四パーセントの株式配当、昭和六〇年四月期は六パーセントの現金配当、昭和六一年四月期は八パーセントの現金配当をしたが、昭和六〇年四月期から昭和六一年四月期の控訴人の営業成績、財務状況は、配当については現状維持がせいぜいの客観的状態であった。控訴人の元副社長は、伊藤が日航の再建と民営移管へのエースとして送り込まれ、昭和六一年六月末の株主総会で副会長から会長に昇格する時機に遭遇して、その母体である控訴人が伊藤の支援として、去年を上回る利益を計上するために苦労をしている状況を見て、円高不況による繊維部門の予想される大出血、化粧品部門の収益が親子会社間の売買実績によるので数字いじりが合法的かつ容易に行われうること、かって昭和五一、二年の大欠損の状態に際して自らその衝に当たって穴埋めに奔走した経験を有することから、「業績の悪さを隠すために、「日航会長就任用の数字づくり」が行われているフシがある」と解説したのであって、敢えて増配を図る危険性を警告し、批判したものであり、「公正な論評」である。また、後に公表された昭和六一年度の連結財務諸表によれば、鐘紡グループ全体としては当期純利益として四億六〇〇〇万円を計上するのみで、連結子会社増加に伴う一六億七二〇〇万円の資本増加があるものの、期末欠損金は前期の一九八億九八〇〇万円から二一〇億〇二一〇万円と増大しており、このようなグループ全体の欠損金の増大にかかわらず増配することは、第三者から見れば、伊藤会長の日航会長就任用のご祝儀配当と見られてもやむをえないところである。

「この数字は信用できません」との部分は、急激な円高による繊維、特に合繊の市況が悪化している背景の中で、化粧品部門の収益をもってその赤字を補填し、なお前期より増収増益として増配をすることが可能かどうかという合理的危懼からする批判であって、事実に基づく「公正な論評」というべきである。

(三) 記事(二)について

記事(二)の前段の「ある消息通氏」というのは豊原洋であるが、同人は、被控訴人会社の編集部員に対し、昭和五九年の復配に粉飾の疑いがある根拠について極めて具体的に述べている。また、被控訴人松田は、控訴人関係者(控訴人の元副社長、子会社の関係者、控訴人の元社員)、控訴人の主力銀行である三井銀行相談役、経済専門家(雑誌記者、新聞経済部の記者、経済評論家)に取材をさせ、豊原洋の談話の内容を多方面にわたって検証し、右談話に信憑性があると判断したものである。

記事(二)の後段の「元幹部社員」というのは元副社長であるが、右後段は元副社長の談話を忠実に紹介したものである。元副社長は担当部門の最高責任者であり、その談話の内容も、自らが体験した事実を明細かつ具体的に述べたものであって、極めて信憑性が高いものである。また、被控訴人松田は、右談話の内容を、週刊新潮昭和五二年一一月三日号の「若手重役「左遷」で危機情報に追打ちする苦境の「鐘紡」」と題する記事及びその際の取材成果並びに元鐘紡薬品の役員に対する取材によって検証している。右週刊新潮の記事は、元副社長の談話の内容と符節を合わせるものであった。

また、控訴人の有価証券報告書を分析すれば、元副社長の昭和五一年頃から五二年頃の欠損及びその補填にかかる談話の真実性が論証できる。すなわち、控訴人の経常損失は、第五八期(昭和四九年一〇月二六日から昭和五〇年四月三〇日まで)、第五九期(昭和五〇年五月一日から昭和五一年四月三〇日まで)及び第六〇期(昭和五一年五月一日から昭和五二年四月三〇日まで)の通算で三七五億円であり、特別損失は第五八期から第六二期(第六一期は昭和五二年五月一日から昭和五三年四月三〇日までであり、第六二期は昭和五三年五月一日から昭和五四年四月三〇日までである。)までの通算で四一四億円である。経常損益は期間損益として機械的、定型的に算出計上されるが、特別損益は会社トップの判断により算出計上の時期、数額が決定される。特別損失は企業の財務体質に現存しているのであって、それを一挙に算出計上するか、数期にわたって分散計上するかは、その企業の財務政策である。したがって、控訴人の第五八期から第六二期までに算出計上されている特別損失合計四一四億円は、右決算期のいずれの時期にも算出計上しうるものであり、右特別損失を当該企業が内蔵しており、算出計上まで表面化していないことを示す。このような観点から、控訴人の昭和五一、二年頃の顕在化し、又は潜在化している損失は、前記経常損失三七五億円と特別損失四一四億円を併せて七八九億円となる。他方、控訴人の第五八期から第六二期までの固定資産、有価証券売却による特別利益は通算で八三四億円となる。右の経常損失、特別損益の計上状況から判断して、元副社長の、昭和五二年決算期における欠損三五〇億円は実際は八五〇億円であり、この穴埋めに淀川工場等の固定資産及び有価証券を売却した旨の談話は事実であると判断される。また、一〇〇億円だけ帳尻が合わないのを在庫処理したとの談話内容は、第六一期以降に在庫評価損等特別損失約二〇〇億円を先送り計上していること(第六一期の特別損失は五九億円、第六二期の特別損失は一五六億円である。)からも事実と判断される。

元副社長の談話は、カネボウ繊維販売株式会社による緊急避難的資金繰りの事実によっても、真実であると証明することができる。すなわち、控訴人は含み資産として膨大な固定資産、投資有価証券を有するが、その処分には手続と時日を要する。そこで、緊急避難的資金繰りのため昭和五〇年七月に全株式を控訴人が保有するカネボウ繊維販売株式会社が設立され、同社が控訴人の繊維製品の五割から七割を取り扱い、その代金の支払として約束手形を控訴人に交付する。控訴人は右受取手形を割り引いて資金繰りに充てる。第五九期から第六一期の関係会社受取手形の割引高の著増(控訴人の関係会社受取手形割引高は、第五八期は四八億〇五〇〇万円であるが、第五九期は四六四億七六〇〇万円、第六〇期は四六三億五六〇〇万円、第六一期は四五七億二八〇〇万円である。)はこの事実に基づくものである。カネボウ繊維販売株式会社は、商社、最終需要家からの受取手形を控訴人に裏書譲渡するのであれば、手形決済資金を要しない。控訴人は、カネボウ繊維販売株式会社に繊維製品の五割ないし七割を販売することによって、在庫商品を売掛金又は受取手形に変化しうる。カネボウ繊維販売株式会社から商社、最終需要家への販売はそれ程容易ではないから、「商社金融」「宇宙遊泳」(当座の資金づくりと、対外的に売上げが伸びているようにみせかける操作として、商品は実際には動かないのに、手形だけで売ったり買い戻したりして、帳簿上の操作をすることで、合繊メーカーと商社間の悪しき慣行として行われていた。)という実需に基づかない売買が成立し、資金繰りに利用される。控訴人とカネボウ繊維販売株式会社との売買は、実需に基づくものではないため、控訴人からカネボウ繊維販売株式会社に対する貸付金の累増となり、控訴人からカネボウ繊維販売株式会社に対する貸付金は第五九期に始まり、第六〇期ないし第六二期には、毎期、ほぼ関係会社受取手形割引高と同一金額の五〇〇億円の貸付金が存在しており、このことは、カネボウ繊維販売株式会社が販売部門として独立したものの、その実態は、控訴人が資金的に面倒をみなければ立ち行かないことを示す。そして、前記のとおり、第六二期に至って、特別利益をもって経常損失及び特別損失の穴埋めが終了し、カネボウ繊維販売株式会社はその使命を達して都島開発株式会社と商号を変更し、第六四期に清算終了して消滅したものである。

元副社長のコメントのうち、「アクリル繊維担当の山本吉彦取締役(当時)が、実際は何十億もの損を出しながらプラスになっているという粉飾をやった。」という部分は、前記昭和五二年一一月三日号の週刊新潮の記事の作成に当たっての取材結果によって立証できるものである。この取材の際に、控訴人の清水常務及び主力銀行である三井銀行の担当者は、その額は別として、その事実を認めたものである。

豊原洋の昭和五九年四月期の復配が粉飾の結果ではないかという談話(記事(二)前段)も、以下のとおり真実であると認められる。すなわち、控訴人は、昭和五五年四月期以降経常損益において黒字化したが、復配するほどの収益ではなかった。そこで、昭和五六年から五八年の間に、収益を挙げている化粧品部門、繊維収益部門を控訴人に吸収合併する方法がとられた。また、不採算部門を子会社として切り離した。これによって、昭和五九年四月期の決算で五〇億円余りの経常利益を計上し、年四パーセントの株式配当をして復配をした。しかし、このような方策は健全ではなく、鐘紡グループ全体の経営状態、財政状態を総合的に判断しなければならない。そして、連結財務諸表によれば、鐘紡グループの欠損金は、無配決定翌期である昭和五三年四月期は一三四億五二〇〇万円であるが、復配決定期である昭和五九年四月期は二四三億九四〇〇万円であって、控訴人だけを見れば五〇億円余りの経常利益を計上しているが、鐘紡グループ全体では欠損金が約一〇〇億円も多くなっているのである。また、カネボウ化粧品株式会社を控訴人が吸収合併することにより、化粧品の売上高、収益高については、控訴人が合法的に操作できる可能性があることになった。さらに、控訴人は、繊維、化粧品、薬品、食品、住宅等の多角経営化を図っているが、昭和六一年四月期決算の実績では、総売上高に占める割合は、繊維が五六・九パーセント、化粧品が三五・三パーセント、合計九二パーセント強であり、化粧品部門の収益で繊維部門の欠損を補填するという状況である。以上の諸事情を検討すると、控訴人が昭和五九年四月期に復配したことは、「かなり強引なこと」であり、「勇み足」であって(三井銀行元相談役の談話)、豊原洋の述べる「疑い」は真実であるというべきである。なお、不採算の子会社の切り離し、採算子会社の合併という方法で親会社の財政状態を配当可能な状態にすることも一種の粉飾であると考えられる。

(四) 記事(三)について

記事(三)は、控訴人の元副社長の談話に基づくものであり、被控訴人松田は、右副社長の控訴人における閲歴や伊藤との経営者同士としての長い付き合い、被控訴人松田自身の伊藤について蓄積した資料によって、右談話が依拠するに足りる情報であると判断し、さらに雑誌記者、新聞編集委員等に取材して右談話の真実性、公正性を検証した。

(五) 記事(四)について

記事(四)は、武藤絲治の直近の親族の談話によるものである。

また、花村仁八郎日航会長が「鐘紡時代のことについても、前社長の武藤(絲治)さんとゴタゴタがあったらしいことを新聞で知っている程度です。」と述べているとおり、社会周知の事実である。

某経済誌記者は、武藤から伊藤への社長交代時に児玉譽士夫が介在した旨述べており(伊藤もその旨供述している。)、武藤が社長交代に不満を持ち、カムバックに動いたことは事実である。

被控訴人松田は、控訴人の元副社長の一人である宮村芳雄にも、昭和四三年の社長交代劇について事実の確認をしている。

したがって、被控訴人松田が武藤の近親者の談話を真実と判断したことには相当の理由がある。

(六) 記事(五)について

被控訴人松田は、伊藤から控訴人の顧問である小山五郎への金員の贈与に関する豊原洋の供述をもとにして、控訴人の関係者、雑誌記者、新聞記者等にそのことを取材し、また、自ら控訴人に対して永年取材し蓄積した資料を勘案して、記事(五)としたものであって、これが真実であると信ずる相当の理由がある。

右記事は、公正な批評でもある。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1項は否認する。

本件記事は伊藤が日航の会長に就任することが既に確定した後のものであること、取材が杜撰であること、週刊新潮の基本的な編集態度が人権無視の興味本位なものであること、被控訴人会社が過去に控訴人に関する週刊新潮の記事について控訴人に謝罪させられた経緯があること、被控訴人会社発行の週刊新潮等の雑誌に控訴人あるいは伊藤を誹謗ないし揶揄する記事が執拗に繰り返し掲載されてきたことなどを総合すれば、本件記事は控訴人に対する悪意に基づく記事であり、意趣返しであるものと認められ、到底公益を図る目的があるとはいえない。

2  同2項は否認する。

本件記事中に指摘されている伊藤に関する事実及び控訴人に関する事実は真実ではなく、これが真実であることは立証されていない。

また、真実であると誤信したことに相当の理由があるというためには、当該報道者側がなすべき注意義務を果たし、綿密に調査した結果真実であると誤信した場合でなければならない。とりわけ雑誌においては、新聞に比べて迅速性の要求がより低いので、真実性についての注意義務はより重くなり、その調査は慎重なものでなくてはならない。本件では、本誌が発売された当時既に伊藤は日航の会長就任が決定していたので緊急性はなかったのであり、しかも本件記事が発売されれば控訴人の名誉、信用、イメージが損なわれ、かつ、これが控訴人の競争会社に営業上利用され、控訴人が重大な打撃を受けることが容易に予想されたのであるから、慎重に調査すべきであるのに、被控訴人らはこれを怠っている。すなわち、取材の相手方が控訴人に対して恨みを持っている者で、根拠となる談話は偏見に満ち、信用性がない疑いが十分であるのに事実の客観的な裏付けをとっていないこと、影響が大である記事であるのに実質的な取材日数が僅かであること、記事(一)ないし(五)以外の他の記事部分についても同様に全く客観的裏付けを欠き、しかもその裏付けを取材しようとの真摯な努力も全くみられないことなど、調査の程度が杜撰であって、到底真実であると誤信するについて相当の理由があるとはいえない。

(一) 同2項(一)は知らない。ただし、豊原洋が昭和五六年一一月二日から昭和五九年八月二七日までカネボウ化成株式会社の顧問であったことは認める。

(二) 同2項(二)及び(三)は争う。

(1) 記事(一)には、控訴人の昭和六〇年度の決算に関して「数字づくり」「いろいろ数字をいじくっている」「ごまかし」、さらには「数字は信用できない」との表現が用いられており、これらの表現は、粉飾決算が行われているという意味で用いられていることは明らかである。また、記事(二)は、控訴人の昭和五八年度及び昭和五一、五二年頃の決算について粉飾の疑いがあるとするものである。記事(一)及び(二)は、全体として、この点に関する伊藤の行為を非難するとともに、控訴人自身が粉飾決算をしているとの趣旨を含む記事である。

しかし、控訴人が右記事のような粉飾を行ったという事実は全くない。粉飾という以上は、利益の過大表示や損失の過小表示という数字上の問題である。控訴人は、事業年度毎に大蔵大臣に対して有価証券報告書、連結情報(この中に連結財務諸表が編綴されている。)を提出しているところ、これらの報告書等の中の財務諸表は、社外の会計監査人の監査を経たものである。会計の専門家の監査を受けて適正と判断されてきた控訴人の決算に粉飾があるというのであれば、どの年度の財務諸表のどの部分に、どれだけの粉飾があるといった具体的な数字をもって明らかにされなければならない。ところが、本件における被控訴人らの主張は、その点における具体性・明確性を欠くものであり、主張自体として不完全なものである。

(2) 被控訴人らは、記事(一)及び(二)は主に元副社長及び豊原洋に対する取材結果に依拠するものであると主張している。

しかし、元副社長は、在任中も経理を担当しておらず、取材当時は副社長退任後六年を経過しており、また、伊藤に対する嫉妬、偏見に支配されることの十分ありうる人物である。豊原洋は、元々控訴人の一子会社の非常勤顧問として数年間勤務したことがあるにとどまり、取材当時は同顧問解約後約二年を経過している。また、同人は、控訴人及びその関係者に対して怨念、偏見を持つ人物である。元副社長及び豊原洋の各談話は、信頼すべきではない。

また、右各談話の信憑性を判断する資料とされたという関係人の供述ないし意見は、いずれも決算の内容にわたるものではなく、伊藤評といった評論等にすぎず、また、週刊新潮昭和五二年一一月三日号の記事も、昭和五二年における控訴人の経営状況の一端を推測を交えて概説するにとどまり、決算に関する元副社長や豊原洋の談話内容の真実性を補強するものとはいい難い。

(3) 被控訴人らは、有価証券報告書等が元副社長や豊原洋の談話の信用性の補強になると主張する。

しかし、被控訴人らの主張は、信用できない元副社長、豊原洋の談話の内容に偏見と臆断をもって有価証券報告書等の数字を結び付けて、無理やりに控訴人の「粉飾」を結論しようとするものであって、これによって記事(一)及び(二)の真実性は証明されるものではない。

また、被控訴人会社の取材記者は、元副社長から、「有価証券報告書を入手して分析するとはっきりする。」旨の勧告を受けているにもかかわらず、これを無視して控訴人の有価証券報告書等を一瞥だにしていない。したがって、被控訴人らが本件記事作成時には見なかった有価証券報告書等は除外して、被控訴人らが当時取材した結果だけを資料として、被控訴人らが記事(一)及び(二)の内容が真実であると信ずるについて相当の理由があったかどうかを判断すべきである。

なお、記事(一)の匿名の元幹部社員の言は、要するに発表されている控訴人の決算の数字が「ごまかし」あるいは「信用できない」としているのであって、鐘紡グループ全体ではどういう状態であるかを見る連結決算において欠損金が増えていることは、何ら右談話の内容が真実であることの根拠にはならない。

また、控訴人が各種の損失を計上し、特別損失の合計額が多大となったことは被控訴人ら主張のとおりであるが、控訴人は、各種の損失を隠匿したのではなく、すべて計上したのであって、資産の過大表示はない。そして、損失額が多大であることをもっていわゆる粉飾であるということはできない。

カネボウ繊維販売株式会社の新設は、昭和五〇年度顕在化した石油ショックによる巨額の欠損、資金操りの悪化に対する臨機の対応策の一つにすぎない。右会社の新設は、商社依存を脱し、「製販分離」により自力販売促進を目的としたものであって、業績を挙げて危機を脱しえたものである。控訴人からカネボウ繊維販売株式会社に対する製品の販売は、原価売りであって、控訴人は売却益を全く計上していない。したがって、控訴人が資金操りのために販売会社を設立したとする被控訴人らの主張は事実無根である。もとより資産の過大表示という違法な粉飾を意図したものではない。

いずれの企業も、企業の存続と体質改善のために、不採算部門を一旦切り離し、営業形態や就業体制を競合他者に適合させて業績の好転を図るということは、極めて合理的な伝統的施策であって、「不採算部門の分離による活性化」と、その目的を達成した後の「本体への吸収合併」は、資産・利益の過大表示や負債・損失の過小表示がない限り、粉飾ということはできない。

(三) 記事(三)及び(四)について

被控訴人らは、記事(三)の取材源は元副社長であると主張しているが、その談話の内容は、前述したとおり、信用できるものではない。また、元副社長の談話の内容自体、風聞・伝聞を語ったものであるが、被控訴人らは、元副社長からの取材内容について、秘書への取材とか遺書の存在についての裏付け取材を行っていない。結局、記事(三)は、元副社長の談話を鵜呑みにして作成されたものである。

記事(四)中の武藤絲治の「近親者」が誰であるか明確ではないが、被控訴人らが右「近親者」に面接取材をせず、電話による取材の方法をとり、かつ「近親者」の伊藤に対する偏見の有無について十分な裏付け調査を行わずに、それが「近親者」の言であるという一事に安易に頼って、その言を鵜呑みにして記事(四)を書いたことについて、被控訴人らには重大な過失がある。

記事(四)についての裏付け取材も不十分である。

記事(三)及び(四)は、伊藤に対する個人攻撃的なものであるから、伊藤の意見をも徴することが記事の正確性を保つ上で必要不可欠である。ところが、被控訴人らは、伊藤に直接取材しないで、記事(三)及び(四)を書いたのであって、悪意もしくは重大な過失がある。

(四) 記事(五)について

被控訴人らが摘記する記事(五)の真実性の立証資料は、これらを寄せ集めてみても、一向に伊藤の「金品攻勢」の事実の真実性又は真実と信ずるについての相当性を証明することはできない。

第三証拠

証拠の関係は、原審及び当審記録中の証拠目録に記載のとおりである。

理由

一  請求原因1項のうち、控訴人の営業目的及び伊藤に関する事実、同2、3項の事実並びに同4項のうち、本件記事の内容は、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第四号証の三、第八号証の一、三によれば、控訴人は、明治二〇年に創立され、昭和六一年四月三〇日現在で資本金二二五億三〇〇〇万円、従業員数六四九〇名(鐘紡グループ全体では昭和六〇年四月三〇日現在で二万六一九八名)の株式会社であって、昭和一一年には民間企業中第一位の売上高を上げるなど、昭和一〇年代にはわが国民間企業中で最大の規模を誇るに至ったことが認められる。また、成立に争いのない甲第三八号証の五によれば、控訴人は、第六九期(昭和六〇年五月一日から昭和六一年四月三〇日まで)当時、その株式は東京、大阪、名古屋の各証券取引所一部並びに京都、福岡、広島、新潟及び札幌の各証券取引所に上場されていたことが認められる。

二  まず、本件記事が控訴人の名誉、信用を毀損するものであるかどうかを判断する。なお、以下において言及する本件記事の全体の内容は、成立に争いのない甲第一号証によって認めることができる。

1  記事(一)について

記事(一)は、鐘紡の経営状態が良くないとの経済ジャーナリストの談話に続いて、鐘紡元幹部社員の解説として、

「業績の悪さを隠すために、「日航会長就任用の数字づくり」が行われているフシがある」、「鐘紡の状態がよくないんでは困るので、まあ、いろいろ数字をいじくっているようです。」、「私がいたときからごまかしていましたからねえ。この数字(幹部社員から聞いたという今期の決算の見通しにおける損失又は利益の数字をいう。)は信用できません。」との談話を紹介しており、本誌の読者にとっては、控訴人では、以前から決算の数字をごまかしており、今期の決算においても、業績の悪いのを隠すために数字の操作が行われている疑いがあり、控訴人の発表する今期の決算の数字は信用できない、という趣旨に受け取れる。すなわち、控訴人では、事実に反する数字に基づいて違法、不正な決算が行われているということにほかならないのであるから、記事(一)が控訴人の名誉、信用を毀損することは明らかである。

解説しているのは匿名の「元」幹部社員ではあるが、「幹部」であったというのであり、在職中の事実として数字をごまかしていたと断定した上で、その経験に基づいて、今期の決算における数字が信用できず、業績の悪さを隠すための「数字づくり」が行われているフシがあると推測しているのであるから、一般読者としては、その推測には合理性があると判断するのが通常であって、この記事を信用するものと考えられる。記事(一)に続いて「むろん、鐘紡側はそんな事実を否定するが」との記述があるが、いかにも申し訳的に控訴人の言い分も付加したという感があり、また、この種の暴露的記事について、対象とされた当の本人が先ずは否定するのが常であるから、この記述があるからといって読者が記事(一)の真実性に疑問を抱くというものではない。

2  記事(二)について

記事(二)の前段は、「ある消息通氏」の言として、昭和五九年の控訴人の復配は、粉飾の結果ではないかと疑いが持たれている、というものである。匿名であって、控訴人とどのような関係にある者か明らかにされていないが、消息通というのは事情を良く知っている者のことであるから、読者はその言を信用することは明らかである。粉飾の内容は具体的に明らかにされていないが、決算を粉飾したという意味であると受け取られるものと考えられ、粉飾決算とは、正規の会計処理上の基準に従わず、故意に財務諸表の内容をゆがめて、利益又は損失を過大もしくは過小に表示して決算すること、すなわち違法、不正な会計処理がされていることを意味するのであるから、この記事は控訴人の名誉、信用を毀損するものであるといわなければならない。

記事(二)の後段は、元幹部社員の言として、昭和五一年から五二年頃、控訴人の当時のアクリル担当の山本吉彦取締役が、実際は何一〇億円もの損を出しながらプラスになっているという粉飾をした、マスコミは三五〇億円の粉飾と書いたが、実際は八五〇億円であった、この穴埋めに淀川工場の跡地を売ったりしたが一〇〇億円だけ帳尻が合わないので、ついに在庫があることにして処理した、というものであって、粉飾の内容を具体的に説明しているのであるから、控訴人の名誉、信用を毀損するものといわざるをえない。

なお、記事(二)は、「粉飾とはいえないが、鐘紡にはこんな前科がある。」として昭和五一年から五二年に「粉飾」が行われた旨の元幹部社員の談話を紹介しており、本件記事が「粉飾」という文言をどのような意味で用いているのか必ずしも明確ではない。「前科」という文言は、犯罪行為ないし不正行為を意味するものであるが、昭和五一年から五二年頃の処理は「前科」ではあるが「粉飾」ではないというのであるから、ここでいう「粉飾」の意味は明確ではないといわざるをえない。また、記事(二)に引き続いて元幹部社員の「違法かどうかは問題ですが、とにかく経営責任はあると思います。」との言を紹介しており、昭和五一、五二年頃の「粉飾」は違法かどうかは問題であるということになり、この部分では「粉飾」は必ずしも違法な会計処理には限られないことになる。本件記事の別の箇所には「粉飾スレスレの数字づくり」という表現もあり、この箇所では粉飾は数字の操作の中でもより悪質な行為を意味しているものと解されるから、違法な行為をいうように思われる。このように、本件記事中に用いられた「粉飾」の文言の意味は、本件記事全部の内容を子細に検討すると必ずしも明確であるとはいい難いが、一般読者はこのような分析を加えることはなく、「粉飾」をその通常の意味に理解するのであるから、記事(二)が控訴人の名誉、信用を損なうものであることは否定できない。

また、成立に争いのない乙第五八号証によれば、雑誌「週刊ダイヤモンド」の平成六年四月二日号の「合法か違法か粉飾決算の手法」と題する記事は、公認会計士が正当だと判断し、企業サイドが合法であるとする決算についても、粉飾決算である可能性があるから、各社の決算方針とその中身については注意を要するという観点からの記事であるものと窺われ、粉飾決算といわれる中にも合法とされているものがあるという趣旨であるようにも解される。粉飾決算がこのような意味に用いられる事例もあるであろうが、本件記事中の「粉飾」の文言は、通常の用例に従って理解するほかはない。

3  記事(三)及び(四)について

記事(三)及び(四)の中には、伊藤の経営手腕についての記述のほかに、控訴人の社長が武藤絲治から伊藤に交代したのは、表向きは禅譲ということになっているが、武藤は伊藤に使途不明金があるということを衝かれて辞任に追い込まれたのであって、武藤は狂い死にに近い状態で亡くなったが、伊藤に策をもって引きずり下ろされたという遺書があった(記事(三))、伊藤は相談役になった武藤を冷遇したほか、相当のものを払って週刊誌に武藤のことをボロクソに書かせ、あるいは女のことで武藤を脅した(記事(四))、という部分がある。

この部分は、直接的には伊藤の人間性を非難する内容のものであるが、事は控訴人の代表者の辞任及び後任者の選任に関するものであるから控訴人にも関わりのあることであり、控訴人の代表者の交代がこのような陰湿、卑劣な方法で行われたということは、伊藤が現に代表者の地位にある控訴人自身の信用、名誉をも毀損するものというべきである。

4  記事(五)について

記事(五)は、伊藤の金品攻勢についての記述であるが、単に「伊藤氏の、これは、と思う人物への金品攻勢は割に知られている。」というだけであって、その金品攻勢が控訴人の業務に関するものであるかどうか明らかではない(金品の贈呈は、代表取締役の地位と関わりなく、純然たる個人的な関係ないし目的で行われることもある。)。記事(五)の直前の箇所に鐘紡の相談役小山五郎が伊藤から多額の金品を受け取っているという噂がある旨の記述があるが、この記述を参酌しても、右の点はやはり明らかではない。

したがって、記事(五)は、控訴人の名誉、信用を毀損するものと認めることはできない。

5  記事(六)ないし(一三)について

記事(六)の前段は、日航の幹部社員の談話であるが、その中に、伊藤は、鐘紡の社長時代に、自分の悪口を言う者や批判する者には徹底的に報復人事を行い、その被害者は数千人とも聞いている、という部分があり、これは控訴人における人事の在り方についての記述であるから、控訴人の名誉、信用と無関係であるとはいい切れない。しかし、「数千人」という数字が著しく誇張されたものであることは容易に観取できるし、控訴人の社員ではなく、日航の社員の談話であるから、もとより伝聞に基づくものであって、十分な根拠のないものであることも記事自体から明らかである。また、「報復人事」という抽象的な表現にとどまり、何ら具体性のあるものでもない。要するに、幹部ではあるとはいえ、一日航社員の、伝聞に係るさして根拠のない情報に基づく伊藤の経営姿勢に対する一つの見方を紹介したものにすぎず、これによって控訴人の名誉、信用が毀損されるものではない。

記事(六)の後段には、伊藤は権力意志の強い人物であって、控訴人の会長の椅子を手放さないのも、一度手に入れた権力にしがみつきたいからであろう、との日航幹部社員の感想が含まれている。しかし、この部分は、専ら伊藤の性向に関する記述であって、控訴人の名誉、信用には関わりがないというべきである。

記事(七)は、経済ジャーナリストの、伊藤は自分の悪口は一切マスコミに書かせない作戦であって、鐘紡担当の記者にはものすごい接待攻勢をしており、そのため最近、チョウチン記事は別として、鐘紡に関する記事があまり出ない、という内容の談話である。鐘紡担当の記者に対して接待攻勢をしているために鐘紡に都合の悪い記事は出ない、というのであるから、これは単に伊藤個人の方針、行動ではなく、控訴人自身が組織としてこのような接待攻勢を行っているという趣旨に受け取られる可能性が十分にある。したがって、記事(七)は控訴人の名誉、信用を毀損するものというべきである。

記事(八)は、日航の「会長室」に関する記述であるから、控訴人の名誉、信用とは無関係である。

記事(九)は、日航会長を退くことになった花村仁八郎の伊藤に対する見方、伊藤に対する注文を紹介したものであって、控訴人の名誉、信用に関わる部分はない。

記事(一〇)は、伊藤が日航の経営に専念しない理由として、いつ日航を追い出されるか分からないという不安があり、また事故が起きた場合には辞任せざるをえないから、その点を計算して鐘紡の会長の地位を捨てない、との経済ジャーナリストの見方を紹介したものである。伊藤が計算高いと言っているだけであるから、控訴人の名誉、信用を害することはない。

記事(一一)は、カネボウ化成株式会社の顧問であった者から伊藤宛の諌言状の内容を紹介した部分である。伊藤が鐘紡社長として独断専行の経営を続けていること、自分の気に入った者によって親衛隊を組織させ、内部スパイに等しいことを平気でやらせて自分の気に入らぬ者を人事で罰していること、良識ある人の諌言を聞き入れずゴマスリ・イエスマンをそばに置いていることなどの指摘は、控訴人の経営、人事の在り方についてのものであるから、控訴人の信用、名誉と無関係であるとはいえないが、抽象的で具体性に欠ける指摘であること、親衛隊、内部スパイ等比喩的な表現を用いている部分もあることから、どのような事実をいう趣旨なのか必ずしも明確ではない。したがって、この部分は控訴人の名誉、信用を毀損するものとはいえない。次に、「成り上がり的社長室」を作ったという点は、「一割以上配当している会社でもこんな立派な社長室はないというような」社長室、「成り上がり的」社長室というのが具体的にどのような社長室であるのか必ずしも明らかではないし、単に立派な社長室を作ったというだけでは、控訴人の名誉、信用を毀損するとまではいえない。また、「使いもしないベンツを備え」ているという点も、赤字の会社であれば経営者としての見識を問題とされる余地はあるとしても、控訴人程度の大会社であればベンツを備えていたからといって必ずしも不名誉なこととはいい難い。しかし、部下に冗費節約を説きながら、自分勝手に高級料亭で遊んでいること、毎年赤字に悩まされ、幾多の資産の売却を余儀なくされ、今や裸同然の姿になってきたこと等の指摘は、控訴人の業績の極度の悪化にもかかわらず代表者に自覚がなく濫費を続けているというのであるから、控訴人の名誉、信用を毀損するものというべきである。この部分に続いて「昭和五十二年一度は、倒産したに等しい状態になった時あの約七百五十億余の処理問題。」との記述があり、注意深く読めばこれは記事(二)中の昭和五一年から五二年頃の八五〇億円の粉飾と同一事実のことであろうとの推測は可能であるが、この部分だけでは読者にはどのような事実であるのか不明であって、控訴人の名誉、信用を毀損するものとはいえない。なお、記事(二)の末尾には、「事実がこの通りかどうかはわからない。鐘紡側はこの人物のキャラクターに問題があると指摘している。」との記述が付加されているが、本件記事が諌言状の内容を長々と引用しているのは、むしろ、暗にその内容が真実である可能性の方が大きいと示唆するためであると考えるほかはない(諌言状の内容が信用できないものであるならば、本件記事で報道しようとすることの裏付けにはならないはずである。)。

記事(一二)は、桑原慶祐副社長の死後、伊藤には怖いものがなくなったが、一方、経営状態は悪くなり、ますます恐怖政治となり、社員の士気は落ち込んでいった、というものであって、控訴人の経営、人事の状態について言及されているから、控訴人の名誉、信用に関わりがないとはいえないが、「恐怖政治」という表現は抽象的で漠然としており、かつ、比喩であって必ずしも明確な意味合いを伝えるものではないから、直ちに控訴人の名誉、信用を毀損するものとはいい難い。

記事(一三)は、伊藤が日航で思うがままに権力を振るえるのは、伊藤を起用した中曾根首相と中曾根首相に伊藤を推薦した小山五郎三井銀行相談役の後ろ楯があるからであるというものであって、控訴人の名誉、信用とは無関係の記述である。

6  記事(一四)及び控訴人本社社屋の写真の説明文について

記事(一四)は、鐘紡の状態は良くなく、健康体とはいえない状態が続いており、特に住宅部門はもう限界に近づいている、という経済ジャーナリストの談話であるから、控訴人の名誉、信用を毀損することは明らかである。

また、控訴人の本社社屋の写真の説明として「とっくにつぶれていた鐘紡?」という文言が添えられているが、この説明文は、記事(二)中の鐘紡は昭和五一年から五二年頃つぶれる寸前であったが粉飾をして帳尻を合わせたとの記述を併せ読むと、読者は、控訴人は粉飾決算をしなければ昭和五一、二年頃にとっくに倒産していたかも知れない、という意味であると理解することができるから、控訴人の名誉、信用を毀損する記事(二)の効果を補強、拡大するものということができる。

7  まとめ

以上のとおり、本件記事の中には控訴人の名誉、信用を毀損する部分が多く含まれており、全体として控訴人の名誉、信用を毀損するものであるというべきである。

三  不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意又は過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

四  そこで、本件記事が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであるといえるかどうかを判断する。

本件記事は、要するに、日航会長に就任する伊藤が、経営手腕がなく、人間性にも問題があるのに、日航において思うがままに権力を振るえるのは、中曾根首相及び小山五郎三井銀行相談役の後ろ楯があるからである、という趣旨のものであって、伊藤の日航会長への就任を問題視し、これを批判する観点からの記事であるということができる。そして、伊藤の経営手腕や人間性を検証するために伊藤が長年代表取締役社長ないし代表取締役会長をしている控訴人の業績や経営、人事の在り方について言及しているものである。

日航は、昭和六二年九月一一日法律第九二号によって日本航空株式会社法が廃止されるまでは、右法律によって、政府が出資しあるいは債務保証ができること、取締役、代表取締役及び監査役の選任、選定又は解任、定款の変更、利益金の処分、合併並びに解散の各決議は運輸大臣の認可を受けなければその効力を生じないこと、毎営業年度貸借対照表等を運輸大臣に提出しなければならないこと、運輸大臣は経理の監査ができ、経理に関する報告を徴し、経理の状況等について立入り検査ができること等が定められており、このように政府が出資し、監督権、人事権を有する特殊法人であるから、その会長に就任しようとする者がその地位にふさわしい人物であるかどうかということは、公共の利害に係る事実であることは明らかである。そして、右の者の経営手腕等を検証するために控訴人の業績等についても言及することになったのであるから、控訴人の業績等も公共の利害に係る事実としての性格を有することになったものというべきである。

また、本件記事は、大衆週刊誌として、一般大衆に対して伊藤の日航会長就任について問題を提起し、これを批判することを目的とするものであるから、専ら公益を図る目的に出たものであると認めることができる。控訴人に関する記述も、前記のような経緯でされることになったのであるから、この部分が公益を図る目的から逸脱したものであるとはいえない。

成立に争いのない甲第三六、三七号証の各一ないし三によれば、伊藤と被控訴人会社らは、昭和五八年二月二八日、東京地方裁判所において、週刊新潮昭和五五年三月一三日号及び同年七月一〇日号の伊藤及びその長男に関する記事について、被控訴人会社らが朝日新聞に謝罪広告を掲載すること等を内容とする和解を成立させたこと、控訴人と被控訴人佐藤及び同山田は、昭和五九年三月二六日、週刊新潮昭和五六年六月二五日号の「鐘紡子会社の『首切り人事』」と題する記事に関して、右被控訴人らは控訴人に対して謝罪文を交付し、控訴人は右被控訴人らに対する告訴を取り下げる旨の訴訟外の和解を成立させたことが認められる。しかし、本件記事がこれらの和解の意趣返しであることを認めるに足りる証拠はない。

五  本件記事中の控訴人の名誉、信用を毀損する部分について、真実であることの証明があるといえるかどうか、あるいは真実であると信ずるについて相当の理由があるといえるかどうかについて検討する。

1  本件記事の執筆、掲載に至る経過

原本の存在と成立に争いのない乙第四号証、原審証人岩佐陽一郎の証言によって原本の存在と成立が認められる乙第三〇、三一号証、成立に争いのない乙第三三号証の一、二、第三四号証、原審における被控訴人松田の本人尋問の結果によって成立が認められる乙第三五ないし第四〇号証、第四二ないし第四六号証、原審における証人岩佐陽一郎の証言及び被控訴人松田の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)  週刊新潮の発売日は毎週木曜日である。

週刊新潮の編集部は、毎週火曜日に編集会議を開催し、次週の編集方針を協議する。特集記事は週五、六本が通常であるが、この編集会議でテーマの提出が行われ、そのテーマについての予備調査の指示が出される。金曜日午後に再度編集会議が開催され、火曜日に提出されたテーマについて比較検討し、取り上げるべきテーマを確定する。テーマ別にまとめ執筆者が決定され、取材記者が配置され、チームが結成される。取材記者は、まとめ執筆者の指示に基づいて取材に着手する。テーマによっては、従前の特集記事等で取り上げているものについては、それらの取材結果資料等を利用する。取材記者は、取材結果を取材原稿にまとめ、それを執筆者に提出する。取材結果は、右取材原稿によるほか、緊急を要する場合には、電話、口頭で通報する。まとめ執筆者は、取材結果を取捨選択し、これを記事にまとめる。記事は逐次印刷に廻され、ゲラ刷り段階で取材記者は記事内容が取材結果と齟齬することがないか検討する。編集長は記事全体に目を通し、必要な指示をする。テーマによっては、次々週に持ち越すこともありうる。テーマの提出は、編集部員が新聞、雑誌等マスメディアのほか、情報源よりの情報収集等を端緒とする。

(二)  本件記事は、昭和六一年六月六日(金曜日)の編集会議でその企画が決定されたものであるが、そのきっかけは、編集部員が交代で担当する遊軍記者の岩佐陽一郎記者が、約一年前から接触があった豊原洋(昭和五六年一一月二日から昭和五九年八月二七日までカネボウ化成株式会社の顧問であった。)から、同人作成の伊藤宛諌言状の写し(乙第三〇号証)及び三井銀行相談役小山五郎宛の書簡(伊藤から多額の金品を受け取っているという噂は事実かどうか知らせてもらいたいという内容のもの)の写し(乙第三一号証)(これらは、いずれも本件記事において紹介されている。)を数ヵ月前に入手し、編集会議に提案したことである。

伊藤は昭和六〇年一一月に日航の副会長に就任していたが、週刊新潮は、昭和六一年六月五日号の「『日航』伊藤皇帝をめぐる直訴ごっこ」と題する特集記事で、伊藤の日航副会長就任後の経営姿勢について取り上げていたので、改めてこの点についての同様の特集記事を企画したものである。

本件記事については、被控訴人松田がまとめ執筆者になり、取材担当者として早川清、木村達哉、加藤新、佐藤和弘、近藤佐知彦及び岩佐陽一郎の六名の編集部員が加わった。取材は、六月六日の編集会議後から、六月八日の日曜日まで(一部は九日の月曜日まで)続けられた。岩佐、木村の両名は主に控訴人の関係者の、早川は日航会長花村仁八郎及び控訴人の元副社長武藤絲治の近親者の、佐藤は日航の労組関係者の、近藤、加藤の両名は銀行関係者、元日航幹部、ジャーナリスト及び日航関係者等の、それぞれ取材に当たった。六月八日の深夜から九日の未明にかけてそれぞれの取材の担当者が取材の結果を原稿にし、この原稿をもとに被控訴人松田が九日の未明から午前九時頃までの間に執筆者に当たった。一部の取材は九日の午前中になった。九日午後三時頃にゲラ刷りが編集部に届けられ、これを被控訴人松田、編集長の被控訴人山田及び取材を担当した記者らが読んで点検し、製本に廻された。

(三)  記事(一)、記事(二)の後段及び記事(三)は、いずれも昭和五五年六月に退任した控訴人の某元副社長の談話に基づくものである。

記事(二)の前段は、豊原洋の談話に基づくものである。

記事(四)は、武藤絲治元社長の近親者からの電話取材によるものである。

そのほかに、前記のとおり、各方面について裏付け取材がされている。

また、被控訴人松田は、週刊新潮昭和五五年七月一〇日号の「副社長三人首切り『鐘紡』乱心人事の真相」と題する記事に関連して昭和五五年六月に控訴人を退任した三人の副社長の一人である宮村芳雄と接触があり、同人から伊藤に関する情報を入手していた(ただし、宮村は昭和六一年当時には死亡している。)。

被控訴人松田は、本件記事を執筆するについて、週刊新潮昭和五二年一一月三日号の「若手重役「左遷」で危機情報に追打ちする苦境の「鐘紡」」と題する特集記事も参考にした。

2  記事(一)及び(二)について

乙第四号証、第三五ないし第三七号証、第三九号証、第四五号証並びに原審における証人岩佐陽一郎の証言及び被控訴人松田の本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  岩佐と木村は、昭和六一年六月六日の編集会議後に改めて豊原洋から事実関係を聴取した。

その際の豊原の話には、以下のような点が含まれていた。すなわち、昭和五八年に豊原が伊藤に対して諌言状を渡した後に伊藤と会って、株主に対して復配することが経営者の責任である旨述べたところ、控訴人は翌年の昭和五九年に復配したが、この時の復配には大いに粉飾の疑いが持たれること、伊藤は、結局、退陣ではなくして大いに粉飾臭い復配をしたことで責任をとったこと、復配が粉飾臭いというのは豊原一人が言っている訳ではなく、控訴人と取引のある金融機関の人が言っており、「あの復配はタコ配だよ」と言った銀行の幹部もいること、三井銀行や富士銀行も「今の鐘紡はそんなことができる状態じゃない」と復配に猛反対したこと、控訴人のある財務担当者は控訴人の現状を「空おそろしくなる」と表現したくらいであること、今期も前回の復配の時と同じように、相当無理した帳簿上の操作で利益を出してくるものと思われること、伊藤は「とにかく利益を出せ。いい数字を出せ」の一点張りであり、いい数字の出せない担当者は即左遷かクビであるから、担当者は必死になって数字を上げようとするが、現実はそうはいかないので、苦し紛れに数字をゴマカシ、ゴマカシ、帳簿上は利益が上がったようにしてしまう、つまり粉飾をしてしまうこと、一〇年前の化繊部門の担当者が約三〇〇億の粉飾をしたという事件について、当事者は豊原に確実に三〇〇億は粉飾し、自分は逮捕も覚悟した、と述べたこと、財務の人間は「鐘紡じゃ粉飾は恒例化してる」と言っていること等である。

(二)  岩佐と木村は、六月八日、控訴人の元副社長の自宅で二時間近く取材をした。

元副社長は、記事(二)の後段と同旨のことを述べ(ただし、本件記事では、記事(二)に引き続いて「違法かどうかは問題ですが、とにかく経営責任はあると思います」となっているが、元副社長は、配当でもすれば粉飾になったが、それはしなかったから、法的には問題ないであろう、しかし、それとは別に経営者としての責任があると思う、と述べたものである。)、引き続いて「だから、今回、伊藤が日航会長に就任すると聞いた時も、同じことが起こらなければいいがと心配した。状況もあの当時と似ている。あの時はオイルショック直後の不況であったが、今回は円高の後である。したがって、繊維で利益を出すのは相当難しいはずであるが、仄聞したところでは、今回も日航会長就任用の数字づくりが行われているようである。伊藤が日航の会長に就任するに当たって、母体である鐘紡が利益を出していないのでは、まわりの声がうるさい。そこで、前年度以上の利益を出さなくては、と管理部門の中枢の人が言っているそうである。ある幹部に今期の決算の見通しを聞いたところ、トータルでは七四億の利益になるという答えであったが、実際にはどんなものであろうか。下の人達からは、昔と一緒ですよ、何とかして下さいという声を聞く。九年前の一件の後、チェックシステムも設置し、二度と繰り返されないようにしたが、今はあの頃よりずっと巧妙な手段でやっているであろうから、仲々わからないんではないか。しかし、もう一度、あんな粉飾があったら鐘紡は終わりである。スケープゴートを一人出す位では収まらないであろう。OBが心配しているのはその点である。」と述べた。

(記事(一)では、今期の決算の見通しを聞いた鐘紡元幹部社員の感想として、「私がいたときからごまかしていましたからねえ。この数字は信用できません」となっているが、元副社長は今期の決算において粉飾が行われることを危惧してはいるが、右記事のように、今期の決算の数字が信用できないとは断定してはいない。元副社長が控訴人に在任中の九年前の一件についても、粉飾であったとしてはいるが、法的には問題ない、とも述べているのであるから、「私がいたときからごまかしていた」という部分も表現が適切ではない。また、日航会長就任用の数字づくりが行われているようである、とは述べているが、記事(一)の「いろいろ数字をいじくっているようです。」という部分は元副社長の供述とはニュアンスが異なる。)

(三)  控訴人の元幹部は、取材に際して、伊藤に対する評価を述べる中で、「伊藤のやり方は武藤絲治前社長の影響を受けているであろう。武藤もいわゆるエエカッコシイで、社長の座にいた一〇年間、ほとんど粉飾に近かった。側にいた伊藤もそういう物の考え方になったのではないか。」と述べた。

(四)  控訴人の関連会社の専務は、取材記者に対して、伊藤の経営手腕や労務政策について述べたが、その中で、「鐘紡の子会社は、赤字であろうがなかろうが黒字を出せと数字でもって命令される。これに対して『赤字だからどうしようもない』などと言おうものなら、その子会社の重役は即座にクビであるから、現実に赤字でどうしようもないのに在庫の操作で無理やり黒字にする訳である。例えば、薬品メーカーであると、不良品で返品されてきた薬品まで売物になるとみなして帳簿につけてしまう。実際には売ることのできない不良品が正常な在庫とされて倉庫に山積みされているという有様である。」と述べた。

(五)  三井銀行の幹部が取材記者に対して述べた中には、「金融機関の立場から鐘紡について言わせてもらえば、鐘紡は大変な会社である。これはこと鐘紡に限らず、繊維産業全体について言えることであるが、よそのことに手を出していられるような状態ではない。そういう余裕はない。」という部分があり、「粉飾のことは聞いていない」と述べているが、「七期無配できて、急に復配に転じた当時は、かなり強引なことをやったようである。多少勇み足という感じである。一般論になるが、本来、株主に対する配当というのは、会社がしっかりと収益を挙げて、内部を充実させ、しかるべき条件を満たして行うのが正しい在り方である。表面だけとりつくろって、いかにも大丈夫、みたいな顔をするのは、企業としては正常とはいえない。」と、復配を強引で勇み足であると評している。

(六)  被控訴人松田は、本件記事を執筆するに当たって、週刊新潮昭和五二年一一月三日号の「若手重役「左遷」で危機情報に追い打ちする苦境の「鐘紡」」と題する特集記事も参考にした。

この記事は、控訴人のアクリル繊維担当の山本吉彦取締役が在庫過剰のアクリルを商社相手に空売りして三五〇億円もの収益があったように見せかけていたが、商社から預かった手形が市中に流れ、メーンバンクである三井銀行の知るところとなり、伊藤社長の怒りを買って左遷されたという噂があること、控訴人の弘報担当の清水喜久夫常務は、この件について、「アクリル部門で少し強引な取引があったのが噂の引金になったようである。巷間伝えられるように、三五〇億円の強引な商いで七〇億円もの穴をあけたなどというのはオーバーである。いわゆる商社金融といわれる取引の過程で山本が強引な取引をやって商社にハラ一杯抱えさせた。山本にはそれを買い戻してさらにしかるべき先に売りさばく自信があったのであろうが、山本の約束した買戻し契約が控訴人が決めた各部門の資金の枠を超えたものであった。そこで、これを察知した財務部から商社に対してアブノーマルな取引には応じないで欲しいと申し入れたものである。」と説明したこと、主力銀行の三井銀行の見方は、「今度のアクリルのことは、品物が出来過ぎてしまったので、ちょっと抱いてくれと、鐘紡が商社に頼んだ。ちょっとだけ預かっておいてくれ、といって手形をもらえば、とりあえずそこの事業部が成績を上げたという格好になるからである。宇宙遊泳というのは割合よくやるが融通手形とは違う。今、問題になっている鐘紡の宇宙遊泳というのは一〇〇億円位のものであろう。なぜ問題になったかというと、担当者が、伊藤社長が厳しく決めた各部門の枠を飛び出す商売をやったからではないか。」というものであることを報道している。

以上認定の事実によれば、本件記事(一)のうち「日航会長就任用の数字づくり」が行われているという部分、記事(二)前段の昭和五九年の復配は粉飾の結果であるという記述、記事(二)後段の昭和五一年から五二年頃アクリル繊維担当の山本吉彦取締役が粉飾をやったという記述については、一応の裏付けがあるということができる。しかし、記事(一)のうち、いろいろ数字をいじくっているという部分及び控訴人では以前から決算の数字をごまかしていたから、今期の決算の数字も信用できないという部分は、取材の結果そのままではなく、執筆者が若干の脚色を加えたものであるということができる。

そして、以上認定の事実によって記事(一)及び(二)の右記述の部分が真実であると証明できたといえるかという点については、以下述べるとおりこれを否定すべきである。

(一)  まず、昭和五一年から五二年頃のアクリル繊維関係の「粉飾」なるものについては、成立に争いのない甲第五号証の一、二、第二一号証、第四一号証、乙第七ないし第一一号証、原本の存在と成立に争いのない甲第二五号証の一ないし四、弁論の全趣旨によって成立が認められる甲第六七号証(添付の印鑑証明書の成立は争いがない。)並びに原審における証人鈴森英哉の証言及び控訴人代表者(伊藤)の本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(1) 控訴人は、株主宛の定時株主総会の通知の中の営業報告書において、繊維事業について次のとおり報告している。

第五九期(昭和五〇年五月一日から昭和五一年四月三〇日まで)は、総体的には未だ採算点に至らず、売上高は前年度より増収となったが、利益面では期後半の改善が一部寄与したものの、全期を通じては欠損を余儀なくされている、というものであり、第六〇期(昭和五一年五月一日から昭和五二年四月三〇日まで)は、期前半では市況回復を反映して若干赤字幅の改善をみたものの、昨年後半以降の市況悪化により、スフ部門以外は全部門とも大きな打撃を受け、欠損の余儀なきに至った、というものであり、第六一期(昭和五二年五月一日から昭和五三年四月三〇日まで)は、スフ綿、絹部門を除き、大幅欠損を余儀なくされた、というものである。

(2) 控訴人は、株主宛の第五九期及び第六〇期の各事業報告書においても、アクリル部門について、欠損となった旨報告している。

(3) 控訴人の有価証券報告書の「営業の状況」の中の「概況」には、次のように述べられている。

第五九期は、繊維部門が上半期に被った打撃は甚大であり、徹底的コストダウン、販売力強化等の諸施策を講じたが、当期の業績に反映するまでに至らず、誠に不本意な結果となった、というものであり、第六〇期は、繊維産業では不況の度合いは一段と深刻化し、当社繊維部門でもスフ綿部門を除いて大きな打撃を被った、というものであり、第六一期は、繊維部門においてスフ綿、絹部門の健闘があったものの、合繊部門並びに羊毛部門が市況低迷し、欠損を余儀なくされた、というものである。

(4) 控訴人は、昭和五一年一二月一〇日、五一年度中間決算を発表し、伊藤は、記者会見で、当期の繊維部門は、羊毛とナイロンのみが僅かではあるが経常利益を出したが、綿を筆頭にポリエステル、アクリル等が悪く、二六億円の赤字となったと述べた。

また、控訴人は、昭和五二年六月二九日、五一年度決算を発表し、伊藤らは、記者会見で、後半の合繊を中心とする市況低落等で大幅な赤字を余儀なくされ、繊維部門では経常ペースの黒字はスフ綿だけであったと述べた。この会見の内容を伝える新聞は、控訴人の五二年四月期の業績は、五七億二三〇〇万円の経常損失を計上し、淀川工場の一部の土地など資産一〇〇億円強を売却するなど苦しいやりくりであったと報道している。

さらに、昭和五三年六月三〇日の新聞は、紡績大手九社の前四月期決算の内容を報道し、控訴人については、アクリルをはじめとする合繊部門の不振と天然繊維の市況低迷に悩み、化粧品の好調にもかかわらず下期も上期並みの経常欠損を出し、実質的な経常損失は一八六億円になった、と伝えている。

(5) 控訴人の有価証券報告書によれば、控訴人の第五八期から第六二期に至る損益の状況は、次のとおりであるとされており、損失の額と特別利益によるその補填の内容を明らかにしている。

控訴人の経常損失は、第五八期(昭和四九年一〇月二六日から昭和五〇年四月三〇日まで)は一三四億六七〇〇万円、第五九期は一八二億九二〇〇万円、第六〇期は五七億三三〇〇万円、第六一期は一四六億〇九〇〇万円、第六二期(昭和五三年五月一日から昭和五四年四月三〇日まで)は三六億四六〇〇万円であり、第五八期から第六二期までの合計は五五七億四七〇〇万円である。

特別損失は、第五八期は在庫評価損〇、その他三六億円、第五九期は在庫評価損五二億円、その他五四億円、第六〇期は在庫評価損一七億円、その他四〇億円、第六一期は在庫評価損〇、その他五九億円、第六二期は在庫評価損八九億円、その他六七億円であり、第五八期から第六二期の合計は四一四億円(在庫評価損一五八億円、その他二五六億円)である。

他方、この期間の固定資産、有価証券売却による特別利益は、第五八期一四〇億円、第五九期二六一億円、第六〇期一〇六億円、第六一期一三〇億円、第六二期一九七億円であり、第五八期から第六二期までの合計は八三四億円である。

(6) アクリル繊維担当であった山本吉彦取締役(当時)は、上申書(甲第六七号証)において、アクリル事業はその創業以来五年間引き続き赤字の決算をしており、粉飾の事実はないこと、当時いわゆる「商品備蓄」(繊維等の季節商品を取り扱う業界において、大手商社その他に取扱商品を預託し、シーズン入りとともに販売してもらうか、又は買い戻してさらに有利に販売するかを選ぶために、業界の慣行として行う取引)の残高が一二〇億円弱あり、たまたまこの時期にオイルショックで需要が急減したため、一二〇億円弱の金額はアクリルの年間の全売上金額三〇〇億円に比していささか過大な在庫であるとして調整するようにと社内で問題になっただけのことであること、したがって、週刊新潮の昭和五二年一一月三日の記事の「山本取締役が、在庫過剰のアクリルを商社相手に空売りして三百五十億円もの収益があったようにみせかけていた」という部分は全く事実と相違していることを述べている。

右認定の事実によれば、控訴人は昭和五一年ないし五二年当時にアクリル部門が欠損であったことを公表していることが明らかであって、この事実及びその他の右認定の事実と対比して、元副社長の談話及び週刊新潮の昭和五二年一一月三日号の記事によって記事(二)後段の粉飾の記述が真実であることが証明されたとはいえない。

なお、被控訴人らは、前記認定の第五八期から第六二期までの経常損失、特別損失及び固定資産、有価証券売却による特別利益の金額によれば、八五〇億円の粉飾というのは真実であり、また、六一期以降に在庫評価損等特別損失約二〇〇億円余を先送り計上していることから一〇〇億円帳尻が合わないのを在庫処理したというのも真実であると主張するが、これらの事実は、記事(二)後段の、アクリル部門で何十億もの損を出しながらプラスになっているという粉飾をした、実際の粉飾額は八五〇億円である、一〇〇億円だけ帳尻が合わないので在庫があることにして処理した、という記述とは全く別個の事柄であって、右記述と結びつくものではなく、右記述が真実であることを証明するものではない。被控訴人らの主張は採用できない。

また、被控訴人らは、昭和五〇年七月のカネボウ繊維販売株式会社の設立は、在庫商品の流動化による緊急避難的資金繰りを目的としたものであって、この事実は、記事(二)後段の記述が真実であることを証明するものであると主張する。しかし、この事実もアクリル部門における粉飾の事実と直接関係する事柄ではなく、せいぜい業績不振に対する経営上の対応策としての当否が問題となるにすぎないものであるから、被控訴人らの主張は失当というべきである。

(二)  次に、記事(二)前段については、成立に争いのない甲第三八号証の三によれば、控訴人の第六七期(昭和五八年五月一日から昭和五九年四月三〇日まで)の財務諸表は、監査法人中央会計事務所の監査を経て適正なものと認められたことが明らかである。また、原審において、証人鈴森英哉(昭和五五年七月以降控訴人の監査役であった。)及び控訴人の代表者(伊藤)は、この粉飾の事実を強く否定している。

これらの点と対比すると、豊原洋の談話(豊原は、控訴人の関係会社の顧問であったことがあるにすぎないが、粉飾であると断定する根拠については何ら述べていない。また、そのほかの五九年の粉飾についての豊原の話は銀行の幹部等からの伝聞である。)だけで記事(二)前段の記述が真実であることが証明されたとはいい難い。

被控訴人らは、控訴人が昭和五六年以降、収益を挙げている化粧品部門、繊維収益部門を吸収合併し、不採算部門を切り離したことを指摘し、このような方策によって配当可能な財政状態にすることは健全なものではなく、一種の粉飾であると主張し、また、鐘紡グループ全体の経営状態、財政状態を総合的に判断すべきであり、控訴人だけをみれば経常利益を計上しているが、鐘紡グループ全体では欠損金が増加している、として、昭和五九年の粉飾は真実であると主張する。しかし、記事(二)前段は、被控訴人らの右主張のような事実を指摘して控訴人の財政状態は健全なものとはいえないと記述しているのではなく、単に昭和五九年の控訴人の復配は粉飾の結果であると記述しているのであるから、被控訴人らの右主張の事実によって記事(二)前段の記述が真実であることが証明されたとはいえない。

(三)  記事(一)についても、前出甲第三八号証の五によれば、控訴人の第六九期(昭和六〇年五月一日から昭和六一年四月三〇日まで)の財務諸表についても、第六七期のそれと同様に、監査が行われ、適正なものとされたことが認められる。弁論の全趣旨によって成立が認められる(印鑑証明書の部分は成立に争いがない。)甲第六八号証(鈴森英哉の陳述書)、原審証人鈴森英哉及び控訴人代表者伊藤(原審本人尋問)も、第六九期決算における数字づくりなるものを否定している。

これらの事実と対比して、かつ、元副社長自身は既に昭和五五年六月に控訴人を退任していること、数字づくりが行われているとする根拠が明確ではないこと、(仄聞したところによるというのである。)を考慮すると、元副社長の談話によって右数字づくりが真実であることが証明されたということはできない。

被控訴人らは、鐘紡グループ全体の収益状態を示す連結財務諸表による決算状況によると、昭和六〇年四月期から昭和六一年四月期は、期末欠損金が増加していると主張する。しかし、記事(一)は控訴人の業績ないし控訴人の決算について記述しているのであって、鐘紡グループ全体の業績ないし決算について述べているのではないから、被控訴人らの右主張は的外れのものというべきである。そこで、次に、被控訴人らが以上の事実を真実と信ずるについて相当の理由があったかどうかを検討する。

(一)  記事(二)後段について

原審本人尋問において、被控訴人松田は、週刊新潮昭和五二年一一月三日号の特集記事についての取材結果とこれに添う元副社長の供述があるので、この点を真実であると判断した旨供述している。

しかし、右特集記事によれば、控訴人の清水喜久夫常務も、三井銀行において取材に応じた者も、粉飾が行われたなどとは全く述べておらず、商社との間でやや強引な取引があり、その買い戻し金額が控訴人の財務部の定めた資金の枠を超えたものであったので、問題にされた旨述べているにすぎないのであって、元副社長の話とは大きく食い違っており、元副社長の話に添うものであるとは到底いえない。

前記認定の控訴人の元幹部及び控訴人の関連会社の専務の各供述も、直ちに元副社長のこの点の供述を裏付けるものとはいえない。

さらに、成立に争いのない甲第三五号証の三によれば、週刊新潮昭和五五年七月一〇日号に「副社長三人首切り『鐘紡』乱心人事の真相」と題する記事が掲載されたこと、その内容は、昭和五五年六月、控訴人の三人の副社長らが退任に追い込まれたが、いずれも伊藤社長よりも前に入社している先輩であり、同社長のワンマンぶりに批判を持っていること等であることが認められる。そして、本件記事を執筆するに際して取材した元副社長は、この時退任した三人のうちの一人なのであるから、被控訴人らは、右元副社長が伊藤に批判的な立場にあり、伊藤に対して偏見を持っている可能性があることを知っていたものといわなければならない。

以上の事実を総合すると、被控訴人らが元副社長の供述を真実であると判断したことには合理性がなく、相当の理由があるとはいえない。

(二)  記事(二)前段について

被控訴人松田は、原審本人尋問において、豊原洋のこの点に関する供述を信用できるものと判断した理由として、財界の記者、控訴人の元社員、有価証券報告書、帝国データバンクの資料等によれば、控訴人の化粧品部門は業績が良いが、他の部門は業績の見通しは悲観的であるということであったこと、控訴人が七期無配を続けていたのに昭和五九年に復配になった原因を調査したところ、控訴人は、昭和五九年までに化粧品部門等業績の優良な部門を合併し、業績の悪い部門を次々に切り捨てていることが判明したこと、控訴人は昭和五九年に五〇億円の利益を出したが、鐘紡グループ全体としては相当な累積赤字を抱えているから、復配には非常な無理があったのではないかと考えられたこと、昭和五九年の決算前に出版された会社四季報によると、四分位の現金配当をするという見通しが記載されていたが、実際は三分か四分の株式配当に変わっており、最初の見通しどおりには控訴人の業績は上がらなかった結果であると考えられたこと、三井銀行の幹部、控訴人の元社員、ジャーナリストもこの復配について無理があるのではないかという評価をしていたこと、以上の事実を挙げている。

しかし、このうち、配当が株式であったという点については、成立の争いのない甲第四号証の一、前出甲第三八号証の三及び原審証人鈴森英哉の証言によれば、控訴人は、昭和四九年九月発行の第一回無担保転換社債の募集委託契約により「控訴人は右社債の未償還残高の存する限り、右社債の払込期日の属する決算期以降の配当累計高が、法人税等引当額控除後の経常利益累計額に二五億円を加えた額を超えることになるような配当は行わない。」旨の配当制限を受けていたので、現金配当ができなかったものであることが認められるから、被控訴人松田の判断の前提に誤りがあったことになる。

そして、被控訴人松田の挙げるその余の点も、豊原洋の供述を補強するには十分なものとはいい難く、諫言状なるものを伊藤に送り、これを週刊誌記者に交付するという豊原洋の尋常ではない行動自体、何らかの不純な動機・意図を有していることを疑わせるものであって、その供述の信用性にも疑問を抱くのが当然であると考えられることを併せると、被控訴人らが豊原洋の供述を信用できると考えたことには相当の理由は認められないというべきである。

(三)  記事(一)について

被控訴人松田は、原審本人尋問において、記事(一)に関する元副社長の供述を信用した理由として、昭和五九年から一年後の時点において控訴人の経営状態が良くなったという情報がなかったからであると供述している。

しかし、元副社長が必ずしも公正な立場にはないことは前述したとおりであり、右のような根拠だけでこれが信用できると判断したことには相当の理由があるとはいえない。

3  記事(三)及び(四)について

前出乙第三六、三七号証、第四〇号証、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第五一号証並びに原審における証人岩佐陽一郎の証言及び被控訴人松田の本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  前記控訴人の元副社長は、取材に対して、記事(三)と同旨のことを述べた。

(二)  控訴人の前社長武藤絲治の近親者は、早川記者による電話による取材に対して、記事(四)と同旨のことを述べた。

(三)  控訴人の元社員は、取材に対して、伊藤の経営手腕に関する評価などについて述べたが、その中で、「武藤絲治が亡くなる時、秘書を呼んで俺はどうでもいいから、俺の恨みを晴らしてくれといったそうであるが、そのことがよく伊藤の性格を表していると思う。なぜ武藤が伊藤をそこまで恨んだのか。その原因は、伊藤の権力志向にあったと思う。」と述べた。

(四)  日航会長であった花村仁八郎は、本件記事中に紹介されているように、「伊藤の鐘紡時代のことについても、前社長の武藤絲治とゴタゴタがあったらしいことを新聞で知っている程度である。」と述べた。

(五)  某経済雑誌記者の被控訴人会社の取材記者に対する談話の中には、「児玉譽士夫が登場するのは武藤が社長を辞めた時である。伊藤に追い出された武藤をその一族がたきつけて児玉のところに不満を訴えに行かせた。逆に児玉が金になると思って勝手に動いたのかもしれない。いずれにせよ、児玉が武藤の意を受けて伊藤新社長のところに乗り込んで行った。伊藤社長と児玉がサシで会ったと聞いているが、武藤側だった児玉は伊藤社長に会ってすっかり好意的になってしまったそうである。伊藤が児玉を使って何かをしたということはないと思う。」「伊藤が唯一気にかけていることは、やはり社長交代劇であろう。企業にとって切羽詰まった場面で、社長交代をめぐっていろいろなことが行われたのは事実である。その経緯はともかく、重要なポイントは伊藤と武藤がサシで勝負をして、二年で業績を回復するという条件を伊藤が果たしたということであろう。伊藤は鐘紡のために武藤を会長にした訳である。」という部分がある。

以上の事実が認められる。被控訴人松田は、原審本人尋問において、このほかに、武藤から伊藤に社長が交代するについて児玉譽士夫が介在したこと等については、警察庁刑事局の元審議官、控訴人の元副社長の宮村芳雄及び近衛内閣に関係した元伯爵からも情報を得ていると供述しているが、その情報の詳細な内容は明らかではない。

他方、成立に争いのない甲第六号証、甲第五一号証の二、乙第五二号証の一、二、原審における控訴人代表者(伊藤)の本人尋問の結果によって成立が認められる甲第二九ないし第三二号証の各一、二、第四三ないし第四五号証の各一、二、第四六号証、弁論の全趣旨によって成立が認められる甲第三三号証の一、二、第五一号証の一、第六二号証及び原審における控訴人代表者(伊藤)の本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  武藤絲治は、文芸春秋昭和四三年七月号の「四五歳の後継者を選ぶまで」と題する文章で、伊藤を後継者に指名したのは既に一〇年前から心に決めていた予定の行動であったこと、社長を引退した理由は、世界全体が新しい世代の活躍する時代になってきていると考えたこと、一般従業員には六五歳までの職場を保証することになっているが、武藤自身が満六五歳を迎えたこと、あまりに長く経営者を続けると悪い意味のワンマンになりはしないかというおそれがあることである、と述べている。

(二)  武藤絲治は、伊藤宛の昭和四二年五月三日付け書簡で、武藤は社中に伊藤を見いだし(伊藤が長野工場在任中より嘱目していた。)、いよいよ本部で共に働くことになってからは、鐘淵の将来を託する人は伊藤をおいては他にないと、伊藤に対し深い信頼と大きな希望を持ち、また、伊藤の人格卓越した才能を想って、この人とこそ生死を共にしても鐘淵の再建に当たろうと深く堅く決意し、今日に至ったものであること、武藤も伊藤の存在あってこそ希望と勇気を持ってグレーターカネボウ建設の大業にいかなる困難があってもこれを征服、邁進しつつあること等を述べ、さらに、相共に心を合わせ、力を合わせ、鐘淵の繁栄のため、同時に社中戦友同志、兄弟姉妹の繁栄のため断固信ずる道を歩むことにしよう、と述べて、伊藤に対する深い信頼の気持ちを披瀝している。

武藤絲治は、昭和四三年五月二二日の社長としての最後の決算役員会に風邪のため出席できなくなったので、右役員会における挨拶を書面にして、これを伊藤に託した。挨拶の内容は、多年の協力と懇情に対し、心から感謝する、決算役員会の議長は伊藤副社長が代行し、議案も伊藤副社長と打ち合わせ済みであるから了承されたい、鐘淵の新時代への門出を一致団結、鐘淵護持に徹し、雄々しく堂々と前進してもらいたい、というものである。

さらに、武藤絲治は、昭和四三年一二月の伊藤宛の書簡で、自分の伊藤に対する敬愛の念は現在も何ら変わっておらず、むしろ益々深まっている、伊藤の鐘淵と武藤家に対する筆紙に尽くしがたい献身に対しては感謝の言葉もない、自分としては鐘淵護持即伊藤社長護持の一念に徹しており、信頼してもらいたい、申し訳ないというよりお詫びの言葉もないのは、自分の身内から伊藤に対する中傷が放送されていることである、鐘淵を守ってもらいたい、自分の伊藤に対する敬愛と信頼は今も少しも変わっていない、と述べている。

(なお、武藤の身内からの伊藤に対する中傷という点について、伊藤は、原審本人尋問において、武藤の周辺に武藤をもう一度復帰させるべきだという動きが起き、これに一部の親戚も加わって、伊藤に対する様々な中傷攻撃が始まったが、役員一同が、武藤会長の本部出勤及び会長室を設けることについては絶対反対であり、武藤会長に現体制に対する妨害、あるいは安定を損なうような動きのあった場合には一致して会長及び役員の退任を求める旨の甲第四六号証の「役員会申し合せ」を伊藤に提出することなどがあったので、武藤は復帰を諦めた、と供述している。)

(三)  武藤絲治は、昭和四三年九月二一日、伊藤宛に、母の命日に当たって供花を送ってもらったことについて、礼状を出している。

武藤絲治の妻田鶴子は、伊藤に対して、墓参をしてもらった礼を述べ、母子共々世話になったことを感謝する旨の手紙や、一緒に食事をしたことなどに対する感謝の手紙を出している。

武藤絲治の子である一治は、伊藤宛に、昭和六〇年一二月二七日付けで、絲治の墓への墓参の礼を述べるとともに、絲治死亡後の配慮と支援を感謝し、伊藤の恩は一生忘れられないものである旨を述べる手紙を書き送っている。

(四)  武藤一治は、陳述書(甲第五一号証の一)において、絲治が社長を辞任したのは使途不明金を追及されたためであるという話は自分も親類縁者も誰も聞いていないこと、絲治に女がいたという事実もないこと、絲治は心筋梗塞で西宮の病院で急逝し、臨終には絲治の妻と一治夫妻が立ち合い、秘書が立ち合った事実はないこと、絲治の遺書はなかったこと等を述べている。

絲治の妻田鶴子も、昭和六三年六月、控訴人の常務取締役八木幸一に対して、絲治は、死亡する二、三日前に上京し、その際は非常に元気であったが、突然自宅の玄関先で気分が悪くなり、入院したが、容態が急変して死亡した、と述べた。

(五)  伊藤は、甲第六二号証(上申書)、乙第五二号証の一、二(雑誌「世界」平成元年一一月号のインタビュー)及び原審本人尋問において、以下のとおり述べている。

武藤が社長を辞任した理由は、当時武藤社長が全責任をもって指導した二次製品事業が行き詰まり、控訴人の経営が困難な状況に陥り、銀行からも厳しい指摘があり、武藤が苦境にあったこと、海外駐在所の管理に係る武藤社長の海外出張の活動資金について外国為替管理法違反の疑いが持たれ、また、国税の監査が長引いて武藤が悩んでいたこと、不眠症のため服用していた睡眠薬によって心臓が衰弱し、健康上の不安があったことである。武藤は、以前から、伊藤に対し、社長を交代するときには是非伊藤に社長に就任して貰いたいと言っており、前記文芸春秋の手記は武藤の心境を正確に書き記している。

控訴人は、武藤に対しては、社長辞任後も社長時代と同じ待遇をしており、その遺族に対しても、手厚い待遇をしている。

昭和二七年、武藤社長と山田久一副社長が対立し、内紛が生じた際に、山田副社長が児玉譽士夫に介入を依頼し、武藤社長は児玉との間を金銭的に解決した。また、武藤が社長を辞任して一年後、武藤の社長への復帰を図る工作が行われ、武藤はこの件を児玉に依頼した。そこで、伊藤は児玉と面会して事情を説明したところ、児玉はこの件から手を引いた。その後、伊藤と児玉は犬養木堂らの書を交換したことがある。これらの件以外に、伊藤ないし控訴人と児玉との関係は一切ない。

週間サンケイに武藤ないし控訴人を中傷するような内容の小説が連載されたことがあり、控訴人は抗議を申し込んで連載は中止になった。

これらの事実ないし証拠と対比して、前記の元副社長の談話及び武藤の近親者の話等によって、記事(三)及び(四)の中の社長交代に関する記述が真実であると認めることはできない。被控訴人松田は、原審本人尋問において、前記文芸春秋の手記について、武藤が金に事欠くような状態に追い詰められそうになったので、伊藤に順応、妥協し、このような手記を発表したと控訴人の社内の者から聞いている、と供述し、また、武藤の近親者の話では、武藤家では、息子が控訴人に勤務しているために真実を言うことができないという事情がある、右息子が控訴人内で迫害されて控訴人を辞めようとしたときに、絲治の妻が伊藤に頼んで控訴人に引き続き勤務することができるように取り計らってもらったといういきさつがあるので、武藤家は伊藤に忠誠を誓っている、しかし武藤家としては腹にすえかねている問題があるので、そういう点を第三者には語っている、といういきさつではないかと思われる、と供述している。しかし、この供述を裏付ける証拠はなく、これを採用することはできない。

また、元副社長らの談話を真実と信ずべき相当の理由があったものともいえない。すなわち、元副社長の談話の信用性に疑問があることは前述したとおりであり、近親者からの取材も、電話によるものであること等を考慮すると、これを全面的に信用できるとする根拠はない。花村仁八郎の談話、控訴人の元社員の談話、経済雑誌記者の談話等も元副社長の談話等を裏付けるに足りるものではない。

4  記事(七)について

前出乙第四三号証(原審における被控訴人松田の本人尋問の結果によって新聞経済部の記者からの取材結果をまとめた取材原稿であると認めれる。)には、「伊藤には経営手腕はないのに長期政権を維持してこれた理由は、一つには組合を御用組合にして反対発言をさせないようにしたことである。もう一つは、マスコミ対策がうまかったことである。新聞記者を自分の会社にスカウトして入れたり、経済誌の記者に鐘紡不動産の分譲住宅を売る際に優遇したり、マスコミ関係者への接待は十分にやっている。」という部分がある。また、被控訴人松田は、原審本人尋問において、控訴人に限らず関西系の企業による関西のマスコミの買収は日常起こっており、昭和四三年頃から度々そのような噂は聞いている、昭和五二年に控訴人のアクリル繊維部門の件を取材した時には、関西の関係記者は口をつぐんでなかなか本当のことを言わないということがあり、控訴人に買収されているのではないかという印象を受けた、と供述している。

さらに、原本の存在と成立に争いのない乙第四八号証によれば、週刊新潮昭和六一年一〇月一六日号は、雑誌「経済界」の主幹佐藤正忠の立会いによって日航副社長の利光松男が伊藤宛の「私は伊藤淳二会長を経営の師と仰ぎ、いったんことが起きたら殉死することを誓う」旨の誓約書を書いたという内容の記事を掲載していることが認められる。そして、伊藤は、原審本人尋問において、佐藤正忠と付き合いがあることを認め、佐藤の意向によって右誓約書が作成されたことを認めている。原本の存在と成立に争いのない乙第四九号証の二ないし一二によれば、雑誌「経済界」は、昭和六〇年一二月一〇日頃から昭和六二年六月二日頃までの間に、伊藤の経営手腕を称賛する記事、伊藤とのインタビュー、日航会長としての伊藤を支持する記事、山地進日航社長等を批判する記事等を掲載していることも認められる。被控訴人松田は、原審本人尋問において、右の山地社長を批判する記事について、伊藤が関与し、その掲載について「経済界」に多額の金を支払ったと供述している。

しかし、以上の証拠ないし事実によって、記事(七)中の控訴人担当の記者には物凄い接待攻勢があり、そのため最近控訴人に関する記事があまり出ない、という部分が真実であることが証明されたとはいえないし(新聞経済部の記者の談話や被控訴人松田の供述には客観的裏付けがなく、雑誌「経済界」に関する右認定の事実も右接待攻勢の事実が真実であることを証明するものではない。)、真実と信ずるについて相当の理由があると認めることもできない。

なお、甲第六二号証(伊藤の上申書)には、昭和五〇年、五一年に、控訴人の旧練馬工場付属の社宅用地をカネボウハウジング株式会社が取得し、分譲住宅を建売した際に、桑原副社長が他人名義で二戸を確保し、経済誌の記者やその他関係者に斡旋したことが後日判明したとの記載がある。しかし、右分譲住宅の斡旋の目的は明らかではないから、これをもって直ちに記事(七)がいうような接待攻勢の一事例であるとすることはできない。

5  記事(一一)について

伊藤が「自分勝手に高級料亭で遊び」という記述については、これを裏付ける証拠はなく、他方、伊藤は、甲第六二号証で、社用で必要な場合以外は、料亭を使用することはない旨述べている。したがって、この記述については、真実であることの証明はなく、これを真実と信ずるのが相当な理由もないというべきである。

「毎年毎年赤字に悩まされ伝統ある幾多の資産の売却を余儀なくされ、今や、裸同然の姿になって来た」という記述については、前記乙第七ないし第一一号証及び成立に争いのない乙第一二ないし第一四号証、第一五証の一によれば、控訴人の損益の状態について、以下の事実が認められる。

(一)  第五八期(昭和四九年一〇月二六日から昭和五〇年四月三〇日まで)から第六六期(昭和五七年五月一日から昭和五八年四月三〇日まで)の(本件記事によれば、諌言状は昭和五八年二月四日付けであるというから、この頃までの状態を見ることにする。)経常損失又は経常利益は、第五八期から第六二期(昭和五三年五月一日から昭和五四年四月三〇日まで)まではいずれも損失であって、第五八期が一三四億六七〇〇万円、第五九期が一八二億九二〇〇万円、第六〇期が五七億三三〇〇万円、第六一期が一四六億〇九〇〇万円、第六二期が三六億四六〇〇万円である。第六三期から第六六期まではいずれも利益を計上しており、第六三期が二〇億六二〇〇万円、第六四期が八億円、第六五期が一〇億八〇〇〇万円、第六六期が八億九二〇〇万円である。

(二)  当期純損失又は純利益は、第五八期から第六一期はいずれも損失であって、順次、八億七〇〇万円、二八億三八〇〇万円、九億〇七〇〇万円、二六億八三〇〇万円である。第六二期は純利益が二七〇〇万円、第六三期は同じく九〇〇〇万円であった。第六四期は純損失が六億三九〇〇万円、第六五期は同じく一九億二九〇〇万円であった。第六六期は純利益が六億二一〇〇万円である。

(三)  固定資産売却益は、第五八期から第六六期まで、順次、九六億四五〇〇万円、二三五億三七〇〇万円、一〇四億九七〇〇万円、一〇九億五七〇〇万円、一九四億一〇〇〇万円、三七億七一〇〇万円、七億三一〇〇〇万円、二七億七一〇〇万円、一四億五九〇〇万円である。

ただし、これらの売却のうち相当部分は、鐘紡不動産株式会社、カネボウ合繊株式会社などの関連会社に売却したものである。

右認定の事実によれば、控訴人はほぼ毎年損失を計上していたのであるから(経常利益を計上した期においても、結局は損失となっている期がある。)、「毎年毎年赤字に悩まされ」ているという記述はほぼ真実であるというべきである、また、相当額にのぼる固定資産を毎期売却しているのは事実であるから、その結果固定資産がほとんどなくなってしまったかどうかは明らかではないが(有価証券報告書中の貸借対照表によれば、第六六期すなわち昭和五八年四月三〇日現在の土地の評価は四四億八六〇〇万円であるとされている。)、「幾多の資産の売却を余儀なくされ、今や、裸同然の姿になって来た」という記述についても、大筋において真実の証明があったものということができる。

6  記事(一四)について

前出乙第四二号証及び原審における被控訴人松田の本人尋問の結果によれば、雑誌「財界」の記者は、被控訴人会社の取材記者に対して、記事(一四)と同旨のことを述べたことが認められる。

そして、控訴人の第五八期から第六六期までの経常利益又は経常損失及び当期純利益又は当期純損失の状況は前記認定のとおりであるが、成立に争いのない甲第四号証の二、乙第一五号証の三、前出甲第四号証の一、三、第三八号証の三、五によれば、さらに以下の事実が認めれる。

(一)  控訴人は、第六七期(昭和五八年五月一日から昭和五九年四月三〇日まで)は経常利益は五〇億一五〇〇万円、当期純利益は一四億一五〇〇万円、第六八期(昭和五九年五月一日から昭和六〇年四月三〇日まで)は経常利益は七三億一九〇〇万円、当期純利益は二四億三二〇〇万円、第六九期(昭和六〇年五月一日から昭和六一年四月三〇日まで)は経常利益は八一億二二〇〇万円、当期純利益は二八億一三〇〇万円であった。

(二)  控訴人の株主宛の定時株主総会召集通知に添付された営業報告書には次のとおり記載されている。

第六七期の同報告書には、「収益部門である非繊維事業においては、化粧品、薬品部門の拡充強化を図るとともに、産業資財部門の拡大強化を図るため、カネボウガラス繊維株式会社を吸収合併した。一方、不採算部門のスフ綿製造部門を分離し、製造・販売一体のカネボウレイヨン株式会社を設立し、自主努力により採算化をめざした。」旨記載されている。

第六八期の同報告書には、「繊維事業においては、テキスタイル事業、ファッション事業の両部門をさらに拡充し、繊維の高付加価値化を図る一方、非繊維事業においては、引き続き化粧品事業部門を中核として、薬品事業、産業資財部門の両部門を強化し、さらに深く耕し収益の向上をめざした。」旨の記載がある。

第六九期の同報告書には、「繊維事業は円高による輸出の採算悪化、国内市況の低迷などで不振であったが、そのなかで羊毛部門及びファッション事業部門が好調に推移した。一方、非繊維事業は化粧品事業部門を中心に新規事業の電子関連事業部門が好調で、全体としては前期に引き続き増収増益となった。」旨記載されている。また、薬品事業部門の説明の中に、「肝臓疾患用剤「カタゲン錠」が昨年九月提携先のスイス・ズイマ社の販売一時中断に対応し、当社も同様の処置をとり、これの落ち込みを挽回するため他の薬品の拡販に努める一方、生産面では積極的コストダウンに努めてきたが、所期の成果を上げることができなかった。」旨の記載がある。

これらの事実によれば、控訴人は第六六期(昭和五七年五月一日から昭和五八年四月三〇日)以降は引き続き当期純利益を計上し、その額も順次増額されてきているとはいえ、「まだまだ健康体とは言い難い状態が続いてい」るという評価も十分成り立つものというべきである。「成功しているのは化粧品ぐらい」であるというのも、営業報告書の記載からみておおむね真実に合致するということができる。記事(一四)中で販売中止になったとされている「B型慢性肝炎治療薬」とは、前出乙第四二号証によれば「カタゲン」であることが認められるところ、「カタゲン錠」の販売が中止されたのは事実である。

記事(一四)中の住宅部門の状況に関する記述が真実に合致するかどうかについての証拠はないが(控訴人も、この部分の記述が事実に反する旨の主張・立証はしていない。)、少なくともこの点に関する経済専門雑誌の記者の談話を信用したことには相当の理由があるものというべきである。

7  控訴人の本社社屋の写真の説明文について

昭和五一年から五二年頃の粉飾が真実ではなく、これを信ずるについて相当の理由も認められないことは前記のとおりであるから、この粉飾がなければ控訴人はその時点で倒産した可能性があるという趣旨に理解される写真の説明(「とっくにつぶれていた鐘紡?」というものである。)についても同様に判断することができる。

8  以上のとおり、本件記事が控訴人の名誉、信用を毀損したことについて、違法性がないとはいえず、また、故意、過失が認められないともいい難い。

六  被控訴人松田が週刊新潮の編集部副部長であり、被控訴人山田がその編集人兼発行人であって、右両名が本件記事の作成に関与したことは当事者間に争いがなく、前記認定のとおり、被控訴人松田は本件記事のまとめをし、その執筆をした者であり、被控訴人山田は週刊新潮の編集長として特集記事には目を通し、必要な指示を与える立場にあり、本件記事にも目を通しているものである。

被控訴人佐藤が昭和六一年六月頃に被控訴人会社の代表取締役であったことは当事者間に争いがない。

したがって、被控訴人松田及び同山田は、民法七〇九条に基づいて、本件不法行為についての責任を負うものである。

また、右被控訴人らは、被控訴人会社の事業の執行に付いて控訴人に損害を加えたのであるから、被控訴人会社は、民法七一五条一項による使用者責任を負う。さらに、被控訴人佐藤は、同条二項により、代理監督者としての責任を負うものである。

七  そこで、控訴人の被った損害と損害賠償の方法について検討する。

1  控訴人主張の財産的損害について

(一)  売上減による得べかりし利益の喪失について

弁論の全趣旨によって成立が認められる甲第七二号証の一、二によれば、控訴人の子会社である化粧品販売会社及びカネボウ薬品株式会社の昭和六一年七月ないし八月の売上高が前年同期に比較して相当減少していることが認められる。

しかし、売上高は、その時々の経済情勢など複雑でかつ多岐にわたる諸要素によって変動するものであるから、控訴人の子会社の売上高の減少が本件記事が掲載されたことによるものであるということはできない。なお、子会社の損害がそのまま控訴人の得べかりし利益の喪失となるとする点も首肯することができない。

(二)  経費使用による損害などについて

控訴人の主張する訪問や連絡は、その必要性に疑問があり、本件不法行為と相当因果関係のある損害であるということはできない。

販売会社の利益の減少がそのまま控訴人の利益の減少となるとする点も首肯することができない。

2  会社役員、従業員の精神上の苦痛による会社の無形の損害について

控訴人の主張は、独自の見解であって、採用することができない。

3  名誉、信用等の毀損による会社自体の無形の損害について

本件記事は控訴人が粉飾決算を行った等の控訴人にとって極めて重大、深刻な内容を含むものであって、控訴人の名誉、信用がこれによって著しく毀損されたことは明らかであり、また、週刊新潮の発行部数が約六〇万部に及ぶことは当事者間に争いがなく、本件記事が控訴人に与えた衝撃はこの点からしても重大であるものというべきであって、控訴人は、本件記事によって、具体的計数には積算できないものの、相当の無形の損害を被ったものと認めることができる。

しかし、本件記事の本来の目的は、公共の利害に関係のある日航の会長に伊藤がふさわしい人物であるかどうかを取り上げ、伊藤の経営手腕等を批判したものであって、控訴人の経営状況そのものを取り上げ、これを誹謗することを目的としたものではない。また、本件記事については、関係者の談話など一応その裏付けがあり、被控訴人らが捏造したというものではない。本件記事が過去において被控訴人会社らが控訴人に謝罪させられたことに対する意趣返しであることを認めるに足りる証拠はない。

これらの点その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、本件名誉毀損行為については、名誉を回復するに適当な処分として週刊新潮に別紙目録四記載の謝罪広告を別紙目録五記載の形式(週刊新潮の目次下段の縦の長さは七センチメートルであるからそのように指定し、横の長さは、どの程度を要するか不明であり、掲載を命ずる記事の量と指定されている活字の大きさによっておのずから定まるので、特に指定はしない。)で掲載することを命ずるのが相当であって、日刊新聞紙上への謝罪広告の掲載を命ずるまでの必要性はないものというべきであり、また、本件不法行為についての損害賠償の金額は五〇〇万円とするのが相当である。

八  以上の次第であるから、控訴人の被控訴人らに対する本件請求は、五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六一年六月一九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求め、週刊新潮への謝罪広告の掲載を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、本件控訴に基づき原判決を右の趣旨に従って変更し、控訴人の当審において拡張された請求を認容し、被控訴人らの本件附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋欣一 裁判官 矢崎秀一 裁判官 浅香紀久雄)

別紙 目録一

週刊新潮三一巻二四号(昭和六一年六月一九日号)に「『日航』伊藤会長が『威を借りる虎』の名」との見出しの下に特集記事を掲載しましたが、右記事は、〈1〉業績が悪いのに数字合わせをした疑いがあるとの点、〈2〉昭和五一、二年の決算で粉飾をしたとする点、〈3〉社長職は禅譲でなく武藤絲治元社長の死は狂い死であったとする点、〈4〉退任後の武藤元社長に対する待遇は極めて冷遇であったとの点、〈5〉伊藤会長の金銭的不当支出は割に知れているとの点、などの虚偽の事実を含む全体が貴社をゆえなく誹謗したものであり、これにより直接あるいは貴社代表取締役会長伊藤淳二氏の名誉と信用を毀損することによって、著しく貴社の名誉と信用を毀損しましたことにつき、深く陳謝いたします。

今後はこのような行為のないよう努力いたします。

平成 年 月 日

株式会社新潮社

右代表者代表取締役 佐藤亮一

代表取締役 佐藤亮一

編集人兼発行人 山田彦彌

編集部副部長 松田宏

鐘紡株式会社殿

別紙 目録二

謝罪文掲載形式

1 謝罪広告掲載場所 第一社会面中段

2 広告の大きさ 縦二段 横一〇センチメートル

3 広告内容の活字の大きさ

(一)見出し、末尾被控訴人(附帯控訴人)会社名、被控訴人(附帯控訴人)らの氏名及び控訴人(附帯被控訴人)会社名は

一二ポイント(ゴシック)

(二)中文は 八ポイント

別紙 目録三

謝罪文掲載形式

1 謝罪広告掲載場所 目次下段

2 広告の大きさ

縦八センチメートル

横一二センチメートル

3 広告内容の活字の大きさ

(一)見出し、末尾被控訴人(附帯控訴人)会社名、被控訴人(附帯控訴人)らの氏名及び控訴人(附帯被控訴人)会社名は

一二ポイント(ゴシック)

(二)中文は 九ポイント

別紙 目録四

謝罪広告

週刊新潮三一巻二四号(昭和六一年六月一九日号)に掲載された「『日航』伊藤会長が『威を借りる虎』の名」との見出しの特集記事は、〈1〉業績の悪さを隠すために数字づくりをした疑いがあるとの点、〈2〉昭和五一、二年頃の決算で粉飾をしたとする点、〈3〉社長職は禅譲ではなく武藤絲治元社長の死は狂い死にであったとする点、〈4〉退任後の武藤元社長に対して冷遇したとの点などの虚偽の事実を含み、全体として貴社をゆえなく誹謗したものであり、これにより著しく貴社の名誉と信用を毀損したことにつき、深く陳謝いたします。

平成 年 月 日

株式会社新潮社

右代表者代表取締役 佐藤亮一

代表取締役 佐藤亮一

編集人兼発行人 山田彦彌

編集部副部長 松田宏

鐘紡株式会社殿

別紙 目録五

謝罪文掲載形式

1 謝罪広告掲載場所 目次頁下段

2 広告の大きさ 縦七センチメートル

3 広告内容の活字の大きさ

(一)「謝罪広告」という見出し、末尾被控訴人(附帯控訴人)会社名、被控訴人(附帯控訴人)らの氏名及び控訴人(附帯被控訴人)会社名は

一二ポイント(ゴシック体)

(二)中文は 九ポイント

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